パスツール効果なんて存在しない?(2)

以前、「パスツール効果なんて存在しない?」というエントリーを書きました。要約すると「高校生物の教科書に書かれている『パスツール効果』は、S. cerevisiae(#1)の通常の培養条件では観察されない」というものです。

このエントリーについては時々問い合わせがあるので、もう少し調べてみました。で、ようやくトドメとなる文献にたどり着きました。

A history of research on yeasts 9: regulation of sugar metabolism. Barnett JA, Entian KD. Yeast. 2005 Aug;22(11):835-94. Review. PMID:16134093

60ページ近くある総説で全部読むのは大変ですが、「パスツール効果」をちゃんと理解しようと思ったらこれくらいの歴史を知らなければならない、ということでしょうか。タイトルの通り、パスツールの時代から連綿と続く酵母の糖代謝研究の歴史が解説されていく中に、パスツール効果を総括した一文があります。

However, what is now called ‘the Pasteur effect’ — the generalization that the presence of oxygen decreases the rate of sugar breakdown — does not occur in all yeasts, let alone all other organisms.

しかし、「パスツール効果」と現在呼ばれている現象 ー 酸素があると糖の分解(=発酵)が抑制されるという一般化 ー は、すべての酵母で起きるわけではない。ましてやその他のすべての生物で起きるわけでもない。)

その他、いくつか関連することをまとめると・・・。

パスツール効果とS. cerevisiae

  • パスツールが1861年に発見したこと、そしてパスツール効果のそもそもの定義は、「細胞は、酸素がある条件よりも酸素がない条件の方が糖を早く消費する(定義1)」であった。そして、それは間違っていない(#2)。
  • この発見に対して、後に「酸素による発酵の抑制」という解釈が付け加わり、それがパスツール効果の一般的な定義(定義2)になった。
  • S. cerevisiaeのほとんどの種では、酸素ではなく、グルコースによって発酵と酸素呼吸の切り替えが起きる(#3)。グルコースがあると、酸素呼吸がほぼ完全に抑制される。つまり、酸素による発酵の抑制(=パスツール効果の定義2)は、S. cerevisiaeでは通常見られない。

クラブツリー効果とグルコース抑制

  • グルコースを加えると酸素呼吸が抑えられる現象は、そもそもCrabtreeが癌細胞で発見した(1929年)。この現象は、グルコースによる代謝の撹乱(ADPの枯渇)によって引き起こされる。
  • 酵母には、グルコースによる酸素呼吸の抑制が起きる種(S. cerevisiaeScizosaccharomyces pombeなど)と起きない種(Kluyveromyces lactisCandida tropicalisなど)があることをDekeが発見し、グルコースによる酸素呼吸の抑制を「クラブツリー効果(Crabtree effect)」と名付けた(1966年)。
  • S. cerevisiaeで見られるグルコースによる酸素呼吸の抑制のメカニズムは、その後、グルコースによる呼吸関連遺伝子の発現抑制であることがわかった。この現象(メカニズム)は、現在「グルコース抑制(glucose repression)」と呼ばれている。
  • というわけで、癌細胞で見られたクラブツリー効果(ADPの枯渇)と酵母におけるグルコース抑制(遺伝子発現抑制)とは、発生のメカニズムが異なる。したがって、酵母でみられるグルコースによる酸素呼吸の抑制をクラブツリー効果と呼ぶことは適切ではない。

・・・ややこしい! ややこしいすぎる!!

私も多分高校生の頃にパスツール効果は勉強したと思います(そんな記憶が薄っすらとあります)。それから何年も経って、パスツール効果のことはすっかり忘れた頃から、実験室酵母のS. cerevisiaeの研究を始め、「S. cerevisiaeはグルコースがある時には(酸素のあるなしに関わらず)発酵し、グルコースがなくなると酸素呼吸をする ( グルコース抑制を行う )」 ことを当たり前のように思ってきました。その知識が「パスツール効果」と矛盾がある、ということころからこの調査(?)が始まったわけですが、その背景には長い科学の歴史がありました。その歴史を30ページにわたる総説で書き残してくださった J. A. Barnett 、K.-D. Entian 両氏には心から敬意を表したいです。さもなければ、今後もなくなることはないであろう「パスツール効果の亡霊」の正体を知ることはそう簡単ではないでしょう(この総説を読み切るのもそう簡単ではないですが)。

高校の教科書に載っている「パスツール効果(定義2)」の説明はまことしやかで、「環境によって代謝を変化させる」という生物の不思議を感じるには良い題材だと思います。しかし、現在の定説にはあっていません。パスツール効果(定義2)が今も残っている理由は、「酸素がある時には発酵するより酸素呼吸したほうがエネルギー産生的に有利」という合理的な説明があるからでしょう。ところがどっこい、S. cerevisiaeは「酸素があろうがなかろうがとにかく発酵する」という、一見不合理な変な特性を持っているんです。このおかげで人類はアルコールが飲めるのですが、S. cerevisiaeにとってのメリットは何か? これにもちゃんとした(合理的な)学説があります。それはまたこのブログで紹介する・・・かもしれません。

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筆者注

#1)Saccharomyces cerevisiaeは出芽酵母の一種で、パン酵母やエールビール酵母とも呼ばれています。

#2)これは発酵と酸素呼吸によって作られるATP量の違いを反映しています。酸素がない状態では、細胞は発酵のみしか行えないので酸素呼吸と同等のエネルギーを得るためには大量のグルコースを消費しなければなりません。発酵と酸素呼吸の違いすら分かっていなかったパスツールの時代としては、これだけでも大発見だったのでしょう。

#3)酸素呼吸の抑制(glucose抑制)が起きるグルコースの濃度は、別の文献によると110mg/L(0.01%)です。

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  1. Pingback: 「パスツール効果」なんて存在しない? | 酵母とシステムバイオロジー

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