「パスツール効果」なんて存在しない?

大学の講義のために高校の生物の教科書を読んでいてこんな記述がありました。

「酵母菌は、酸素が少ないときには嫌気呼吸を行なって多量のグルコースを消費するが、酸素が多くなると、グルコースの消費量が減少する。この現象はパスツール効果とよばれる。」

私は、出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)のグルコースによる発酵と酸素呼吸の切り替えのメカニズムについて研究してきましたが、このような「効果」を考える必要性に出会ったことが一度もありません。アルコール発酵(嫌気呼吸)と酸素呼吸の切り替えは、グルコースの濃度そのものが行なっているというのが、私たちの「通説」です。

気になって調べてみることにしました。まず、日本語のWikipedia。確かに「パスツール効果」の項目があり、「教科書通り」の説明があります。参考文献もありましたがこれはどうやらどこかのウェブページの引用。資料としては三次、四次的な物でしょう。

つぎに、英語のWikipediaで調べてみました。今度は論文の参考文献があります。なんと、かのKrebsの書いた、どうやらレビューのようです。

Krebs, Hans (1972). “The Pasteur effect and the relations between respiration and fermentation”. Essays in Biochemistry (8): 1–34.

ただ、残念ながらこの論文は古すぎてすぐには読むことができなさそうでした。

そこで、”Pasteur effect”、”cerevisiae(出芽酵母の学名)”でさらにウェブをサーチして、以下の論文にたどり着きました。

Mechanisms of appearance of the Pasteur effect in Saccharomyces cerevisiae: inactivation of sugar transport systems. Lagunas R, Dominguez C, Busturia A, Sáez MJ. J Bacteriol. 1982 Oct;152(1):19-25. PMID:6749805

Is Saccharomyces cerevisiae a typical facultative anaerobe? Lagunas R. Trends Biochem. Sci. 1981; 6:201–203

この論文で書かれていることは、「パスツール効果は、S. cerevisiaeの重要な特性で、パスツールが初めて記述した「ドグマ」であるとされている。しかし、実際にはパスツール自身はこの現象を一度も報告していないし、普通に増殖しているS. cerevisiaeでは、パスツール効果は観察されない。パスツール効果は、非常に低い濃度のグルコースによって酵母の増殖が制限されているような、特殊な条件でのみ観察される。」ということで、通常の酵母の増殖条件でこの効果について議論することはほとんど意味がないという論調でした。

なるほど。私たちが実験をやっている条件では、グルコースがたっぷり入っていて酵母は元気に増殖している条件ですから、この現象を見ることがなくても不思議ではありません。

パスツール効果が実際にないわけではないので、これが高校の教科書にでかでかと載っていることは間違いではないのでしょう。でもなんか違和感があるんですけどねぇ。

ーー

2014.6.3 エントリー名を変えました。文章を少し校正しました。

2018.2.26 追加エントリー「パスツール効果なんて存在しない(2)」を書きました。

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4 Comments

  1. 浅香友紀子

    今年10月から、S.pombeの研究を始めた者です。
    ただ今、基礎的な事から勉強を始めたいと思っており、このページは大変勉強になると思って読ませて頂きました。特に、十分量のグルコース存在環境での培養では、パスツール効果は認められず、嫌気呼吸と効果呼吸の切り替えはグルコース濃度自体によって決定する…との事に大変興味を持っております。大変不勉強な所で恐縮ですが、その根拠などについて、詳しく説明されている文献など示して頂けますでしょうか?ただ今多くのジャーナルに自由にアクセス出来ない環境となっておりますが、ぜひ勉強させて頂きたいと思っております。

    どうぞお手数ですが返信いただければ嬉しく思います。

    Reply
    1. hisaom (Post author)

      発酵ー呼吸の切り替えがグルコースで制御されているのは出芽酵母(S.cerevisiae)ではよく知られていることですが、S.pombeは違うかもしれません。グルコース抑制(Glucose repression)、ダイオキシックシフト(Diauxic shift)、クラブツリー効果(Crabtree effect)というキーワードをもとに調査されると良いと思います。

      Reply
  2. 浅香友紀子

    経験的にはs.pombeでもグルコース濃度によって制御されているように思われるため、詳しいところを知りたいと思っております。教えて頂いたキーワードでも検索してみたいと思います。コメント頂きありがとうございました。お礼が遅くなりました事お許し下さい。

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  3. Pingback: 現代に彷徨うパスツール効果の亡霊 | 酵母とシステムバイオロジー

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