過剰発現実験が持つ興奮

 

私は昔から遺伝子・タンパク質の過剰発現実験が好きだった。

分子遺伝学の発展している生物ではそれがとても簡単だった、ということは理由としてあるだろう。私が扱っていた遺伝子は破壊をしても表現型がでなくても、過剰発現したら何らかの表現型がでた、ということを何度も経験したからということもあるだろう。だが最近、遺伝子・タンパク質の過剰発現は、その実験自体が秘めている「興奮」のようなものが存在しているのではないかと思い始めた。これから書くのは、アナロジーを使った突っ込みどころ満載の暴論かも知れないが、この「興奮」を少しでも感じてもらえたらと思う。

細胞内には数千から数万のタンパク質があり、それらが協調的に働いている。それらの存在量は細胞の機能が最も効率よく営まれるように、必要な時に必要な量作られるように最適化されている。通常の細胞は、ドライブで喩えるならば、事故を起こさない安全な速度で運行しているという状態だ。危険をさけたり方向転換するために、ハンドルを切って曲がることもあるし、アクセルやブレーキによって速度を調整することも時としてある。

そんな時、思いっきりアクセルを踏んでみたくなることはないだろうか?危険かもしれない、エンジンが壊れるかもしれない、でもレッドゾーンを続けたらどうなるのだろうという「衝動」はないだろうか?実際、多くの方は「おもいっきりアクセルの経験」をお持ちではないだろうか?(大きな声では言えないが、私はある・・・若いころだが。)

過剰発現実験は、「細胞内のタンパク質発現のアクセル」をおもいっきり踏み込んでどうなるかを見る実験だ。タンパク質の機能は細胞内で色々だから、発現量を上げることがアクセルを踏み込むことに例えられるとは限らない。鉄道による人の輸送やトラックによる物流で、輸送される人や荷物を大過剰に送り込んだ時にどうなるかに例えられるタンパク質もある。流れ作業で行われている工場で、一人がおもいっきり処理速度をあげたらどうなるか、なんていう例えもできる。

そういう「限界へのチャレンジ」の興奮が、過剰発現実験にはあると思うのだ。

だから皆さん、過剰発現をやろう。

 

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