本研究室のコンセプト

この文章は、2004年に守屋が書いた文章を一部改変したものです。守屋の研究室で今行なっている研究のコンセプトをうまく表しているのでここに掲載します。当研究室に興味がある方はお読みください。

著者はこの4月から、システムバイオロジーを始めることになった。システムバイオロジーとは簡単に言うと「生命現象をコンピュータシミュレーションする」ことを基本コンセプトとした学問で、この言葉が使われだしてからまだ間もない、創生期の学問である。

著者はこれまで10年近く出芽酵母(パンや、ビールをつくるときに使われる生物)の生物学に携わってきた。一般の人々に酵母を使った研究の利点はあまり知られていないが、ライフサイクルの短さや飼育(?)の簡便さ、そして何よりこれまでの酵母研究者達自身の努力により、他の生物を寄せ付けないほど、この生物に対する知識、研究に利用できるツールが発達している。

最大の問題点はこの生物が非常に単純である(単細胞である)ことであり、ヒトのような高等生物の持つ複雑な構造は作らないし、脳ももちろんない。したがってそれをもちいてヒトのすべてを調べることは不可能であるが、「生命の基本原理の解明」という部分においてこれまでに(そしてこれからも)人類に多大な貢献をすることは間違いあるまい。

筆者はこれまでに古くから開発・発展されてきた手法、遺伝学的手法・細胞生物学的手法・生化学的手法、そして現在ではゲノム生物学的手法を用いて、酵母細胞が環境に対して応答するときの細胞内の情報伝達機構を研究してきた。そしていくつかの自分では面白いと思える発見もし、それなりの評価のある論文を発表できている。

しかし研究中も、発表する段階になってもいつも大きな疑問を感じていた。それはやっぱり「酵母だから」という不満、あるいは不安のようなものだった。よく研究され(つくされ)ている酵母の持っている、それが人類の未来あるいは病気の治療の解明に直接役立つかどうかもわからない(多くのひとにとってどうでもいい)、この研究を、多少推し進めていくことにどんな意味があるのだろうか?そしてそんな研究がメインとなっている酵母の研究そして自分自身に未来はあるのだろうか?

著者の思い描く自分の未来は、自分の研究室をもちその下で学生を指導しながら人類の未来に貢献できる新しい発見を続けるということである。確かに今現在でも、それなりに他人におしえられるサイエンス、技術は身についている。この分野に対する知識もかなりついたと思う。けれどもやはり胸をはって「この分野で後30年研究を続けます!」といえないのだ。

分子生物学研究の潮流は、ある生命現象にかかわる「新しい遺伝子を発見し、その機能を記述する」という「ものとり」を中心に行われており、それはヒトなどの高等生物ではいまだに本流である。以前著者が属した研究所でも、「いかに自分の遺伝子を見つけ、その分子の重要性を説くか」ということがほとんどの研究者の目的だった。それはまさに分子生物学以前の生物学-博物学に近いもの-と同じ、「新しい、面白い生き物を見つける」ということの遺伝子版に過ぎないような気もする。あるいはゴールドラッシュに集まった、「一攫千金」を狙った人たちとも似ている。「重要な遺伝子」を見つければそれで一生研究者として食べていけるかもしれないのだ。

しかし著者自身が使っている酵母では話が違う。酵母は1996年にその全ゲノム構造が決まった。真核生物としては最初にゲノムの決まった生物である。そしてそれからはゲノミクスという手法で6000ある遺伝子が片っ端からあらゆる用法で調べられつづけている。それ以前にも、非常に洗練された分子遺伝学的手法で非常に多岐にわたってそれぞれの遺伝子が調べられてきた。著者は10年にわたっていくつかの方法で遺伝子のハントを行ったことがあるが、そのどれもが一度は他人によって調べられた、他人につばをつけられた(?)遺伝子だった。自身の研究によってその遺伝子に新しい機能を付加することができる程度に過ぎないし、それで一生研究を続けられるようなものではない。

酵母研究で重要な視点は、個々の遺伝子ではだめな時代に来ているのだ。そこで先端を行く酵母研究者は、もっと大きな「プロセス」を研究する必要を感じる。ある遺伝子単体の機能を理解するのではなく、ある系全体を構成する遺伝子群(もしくはその機能の発現である蛋白質群)どうしが、どのように時間的・空間的に相互作用しながら、制御されながら複雑な系を作り上げているかを理解することが次の目標でなければならないと感じる。

そう思ったときに、これはいわゆる「紙とペン」の上に記述することはもう限界を超えていると容易にわかる。コンピュータ上に再構築するしかないのだ。ただ逆にいえば、構成要素がきちんとわかっていなければ再構築は出来ない。即ち、ここまで研究が進んでいる酵母だからこそできることだともいえるのだ。

そのような自然な(?)思考の流れから、数年前にシステムバイオロジーに興味を持った。あらたな研究分野でやっていけるのかという不安は大いにある。また今までやってきたことを捨ててしまっていいのかという恐れもある。自分の選択が果たして正しかったのかと今でも思う。けれども30年後まで間違いなくそれをやりつづけられる気持ちを持てる学問分野、未来に対する不満や不安をもたずに続けられ、人類の未来に貢献していると思える、後世に伝えられるものがある学問分野で自分自身を試してみたい。