細胞のロバストネスについては、

に書きました。そちらの方がまとまっていますので、そちらをご覧頂いた方が良いかもしれません。

生命のロバストネスとはなにか?

生命システムの基本特性「ロバストネス」とは何か?それをどうやって知り、どう使うのか?そういうことを書いていくつもりです。

私の現在の研究テーマは生命システムのロバストネスについての解析です。この聞き慣れない「ロバストネス」とはなんでしょうか?ロバストネスは日本語では頑健性と訳される事が多いです(robustnessをどう訳す?もご覧ください)。生命システムの持つロバストネスについては生物学者は(この言葉を使わずに)当たり前のように認識していましたが*1、最近になってカリフォルニア工科大学のJohn Doyle氏やソニーコンピュータサイエンス研究所の北野宏明氏(私の現在のボスです)が、体系立てて理論的な研究を行いこの言葉が急速に認知される様になりました*2。これは生命現象をつかさどる分子の相互作用によって作られるネットワーク(システム)に対する知識が蓄積し、ようやく生命システムのネットワークのロバストネス発揮のメカニズムが議論できるようになってきたからです。

生命システムの2つの特性「ダイナミクス」と「ロバストネス」

生命*3のシステムレベルの特性には大きく分けて2つあります。1つはダイナミクスです。生物の形や生物の動きなどがこれに当たります。これは生命システムが時間的・空間的に、何らかの「機能を発揮する」能力です。もう1つはロバストネス(頑健性)で、生命システムが(擾乱に対して)「機能を維持する」能力です。

 
cellcycle.gif

具体的な例として、細胞周期というシステムについて説明します。「細胞周期」とは、細胞が一定期間に大きくなり、その遺伝物質(DNA)を複製し、それを2つの娘細胞に均等に分配する機構のことです(右図)。

 

この現象を発揮するための分子レベルでのメカニズムとして、サイクリン依存性キナーゼ(CDK)の活性が細胞周期を通じて周期変動する(振動する)ことがわかっています(下図)*4

 
diagram.gif
 

このCDKの周期変動というダイナミクスは、以下のようにシンプルな数理モデルで再現することが出来ます。

 
Tyson91.jpg
 

この、Tyson91モデル*5をシミュレーションすると、以下のようにCDKの活性が振動します。

 
 

つまりダイナミクス(=CDKの振動という機能の発揮)はこのシンプルなモデルで再現できるわけです。

しかし、実際の細胞周期のネットワークにはダイナミクスに必須ではない要素が含まれています。たとえばNovak01モデル*6には、Tyson91モデルに2つの必須でない要素(CKIとUbE)が付け加わっています。

 
Novak01.jpg
 

これが加わることで、Tyson91のモデルとなにが変わるのでしょうか?

以下のシミュレーションでは、サイクリンという分子の合成速度(サイクリンの発現量)を徐々にあげていったときに、どの範囲でCDKの活性の振動が維持されるか*7をシミュレーションしたものです。始めにTyson91モデル(赤いグラフ)引き続いてNovak01モデル(青いグラフ)でシミュレーションを行います。

 
 

ご覧いただいたように、Tyson91モデル(赤いグラフ)では、不安定な振動が狭い範囲でのみ発生する(限界が低い)のに対して、Novak01モデル(青いグラフ)では、それよりもずっと安定した振幅の振動が広い範囲で維持されます(限界が高い)。

これが生命システムの持つもう一つのシステムレベルの特性、ロバストネス(頑健性)です。細胞周期システムではダイナミクスに必須でない要素を使って、サイクリンの合成速度という内部パラメータの擾乱に対して、CDK活性の振動という機能を維持する能力(=ロバストネス)を高めていたのです。

ここでわかっていただきたかったことは、

  • 生命システムにはロバストネスという特性がある。
  • 細胞のロバストネスは、遺伝子発現などの細胞内パラメータの限界を知ることで推しはかることが出来る。

ということです。

次の疑問は「それではどうやって細胞内のパラメータの限界を知ることが出来るのか?」ということです(それをやろうとしたのが遺伝子つなひき法なわけです)。

今後、

  • 細胞内のパラメータの限界(ロバストネスの指標)をどうやって測るのか?
  • 測定したその限界値から何がわかるのか、どのように利用できるのか?

といったことを書くつもりです。

 

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2016-10-14 (金) 22:57:14

以下は、おまけです。

ロバストネス(Robustness)の定義

(英語のwikipediaの守屋による翻訳)
ロバストネスとは、様々な擾乱にあらがって機能を維持する特性のことを言う。(時として予想外の)環境の変化に対して、ダメージや変性、機能損失を最小限にとどめながら処理することが出来るとき、そのシステムや生物、デザインは「ロバストである」といえる。

  • 遺伝学では、突然変異にもかかわらず生物の表現型が変わらないでいられる性質は、突然変異に対するロバストネス(mutational robstness)と呼ばれる。
  • コンピュータ・サイエンスでは、もし入力や計算などの異常にも関わらず動作し続けることが出来る場合、そのアルゴリズムはロバストであるという。
  • 統計学では、データが作られた真のモデルによって推定が乱されてもうまく機能するものをロバスト統計とよぶ。
  • 経済学では、様々な市場や市況において効果的な金融取引システムの能力をロバストネスと呼ぶ。
  • その他、「ロバストな決議(robust desicion)」とは、可能な限り不確実性がなく、その決議がなされたずっと後になっても有権者にとって良いものに見えるようなものを言う。

ロバストネスを定義するためには

  • どのような「システム」が
  • どのような「機能」を発揮するために
  • どのような「擾乱」に対して

ロバストネスを持っているかを定義しなければなりません。

「細胞というシステムが、生存するという機能を発揮する」ためのロバストネスを知りたい場合、どのような擾乱が考えられるでしょうか?特に私たちが「システムバイオロジー」として知りたいものは、すなわち細胞内の分子ネットワークからつくられる細胞システムです。この分子ネットワークのロバストネスを知りたいときにどのような擾乱がよいでしょうか?私たちはその擾乱の1つは「細胞内のパラメータを変動させること」であると考えています。

ロバストネスについて調べた論文


*1 生物学者は、ある生命現象を発見したときによく「この現象の(生物学的)意義は?」という言い方をします。このときには「その現象が生命にとってどのように利益をもたらすから存在しているのか?」という議論をしているのですが、これはとりもなおさず生命現象の「ロバストネス」について議論していることになるのです。つまり「この現象の(生物学的)意義は?」は、「このシステム(現象)は、何に対してロバストネスなのか?」という事と同義ということになります。
*2 生命のロバストネスについて北野宏明氏と竹内薫氏が書かれた「したたかな生命」という書籍があります。生命のロバストネスについて広く一般的におしりなりたい方はこれをお読みください。このサイトでは「細胞ネットワークのロバストネス」という限定された話題について書いてあります。
*3 あるいは、これはすべての「システム」に共通していることかもしれませんが
*4 これらの発見から、2001年にLee Hartwell, Paul Nurse, Tim Huntのの3氏がノーベル賞を授賞されています
*5 Tyson JJ., Modeling the cell division cycle: cdc2 and cyclin interactions., Proc Natl Acad Sci U S A. 1991 Aug 15;88(16):7328-32. 実際はもう少しシンプルですが、モデルに含まれる分子レベルの情報をわかりやすく図示したものです
*6 Novak B, Pataki Z, Ciliberto A, Tyson JJ., Mathematical model of the cell division cycle of fission yeast., Chaos. 2001 Mar;11(1):277-286.
*7 つまり細胞が増えられるか