「重要な遺伝子」という考え方

分子生物学者はよく「(その生命現象において)重要な(役割を果たしている)遺伝子」という言い方をします。これは特に自分が見つけた遺伝子についてこう呼ぶ事が多いのです。酵母には6000の遺伝子が、人には30000程度の遺伝子があるとされています。これらのうち「重要な遺伝子」はいくつあるのでしょうか?一方で、それでは「重要でない遺伝子」はいくつあるのでしょうか?

確かに生命現象という大きなくくりではなく「DNA複製の」とか「蛋白質分解の」といったくくりをつければ、その現象にかかわる一群の遺伝子は「役割を果たしている」と言えます。しかしではその中で、どれが「中心的」あるいは「重要な」役割を果たしているといえるのでしょうか?

遺伝子には必要不可欠なものとそうでないものがあります。遺伝子を人工的に破壊してしまったときに、目的の生命現象がおこらなくなるものは「必須な遺伝子」と呼ばれます。そしてその必須性は時としてその遺伝子が重要であるという根拠となります。それでは、その生命現象に明らかに関与しているのに破壊しても一見何も起こらない遺伝子(非必須遺伝子)は、何もしていないのでしょうか?重要でないと言っていいのでしょうか?

生命の運命に関わる生命現象ならば1つの遺伝子が壊れても破綻しないように作られている事もあります。例えば、複数の遺伝子に異常が起きなければ癌細胞は発生しません。システムバイオロジーの考え方、特に生命のロバストネスを議論するときに、「この必須でない(重要でない?)遺伝子」の役割を抜きにしてはなりません。多くの必須でない遺伝子は、生命システムにロバストネスを付与しているからです。

話は大きく飛躍しますが、私はこの「生命システムにおけるおのおのの遺伝子の重要度」に対する考え方が、「社会システムにおけるおのおのの個人の重要度」に対する考え方と非常に大きなアナロジーを持っているような気がしています。社会現象を大きくリードし歴史に名を残した人物と、社会の多くの人に知られることはなかったが、ある家庭で家族全員に愛されて一生を全うした人物、どちらが「重要な人物」でしょうか?

とどのつまり「遺伝子の重要度に違いがあるかどうか」の議論は自然科学の範疇ではなく、社会学の範疇、すなわち「人が決めること」だという事になるのかもしれません。ただ現代の自然科学は、社会との密接な接点によって成り立っています。したがって自然科学が社会科学的な影響を受けることはやむを得ないことだとも思うのです。

 
2008-11-06 (木) 00:00:00

研究