私が研究に用いている酵母は、よく「モデル生物」とか「モデル細胞」と呼ばれます。
これにあてはまりそうな、一般的な「モデル」の定義は、おそらく
(7)問題とする事象(対象や諸関係)を模倣し、類比・単純化したもの。また、事象の構造を抽象して論理的に形式化したもの。ことに後者は、予想・発見の機能をもち、作業仮説の創出を促すので、科学方法論的に有益。模型。 「原子—」
三省堂提供「大辞林 第二版
のなかで、特に前半部分でしょう。研究者の中ですら、「モデル生物」をこのようにとらえている人は多いと思います。つまり、「モデル」を「ヒトのモデル、ヒトを知るためにそれを模倣し、単純化したものである。」という捉え方です。
私もこの考え方にずっととらえられていて、酵母というモデル生物の研究は、からなずヒトそのものへの研究につながっていくべきものであると、考えていました(考えさせられていました)。
しかし、自然科学的な考え方では「モデル」を後者の意味でとらえます。つまり、自分の知りたい(生命)現象を最も抽象化して論理的にとらえやすい生き物が「モデル生物」だという訳です。
ある会議に参加しているときに、ある先生が「私の知りたい植物の受精のメカニズムを知るためには、この(特定の)植物がモデル系として最も優れている。」と発表されました。この「モデル」の先には明らかにヒトはありません。
同じように、私は日々酵母細胞をモデルとして使っていろいろなことを研究していますが、これはヒトが持つ特定の現象を解明するためのモデルとしてつかっているわけではなく、「細胞が生きるための仕組み」を調べるために最もその作業が行いやすい生き物としてのモデルとしてこの生き物を使っているのです。
ただそれが結果として、その仕組みの中にヒトにも共通の原理が存在しているがために、そこで蓄積された知識がヒトを知るためにも適応できるという事にすぎないという捉え方をしたいと思っています。