1. 論文を書く

さて、実は昨日の日記と同じ日に書いているんだがサブジェクトが違うので日を分けた。

今論文を書いている。正確に言うとちょっと前に書いた論文の草稿をボスに見てもらっている。しかしまぁ論文を出版するというのはいろんな意味でストレスフルだ。

(1)データのあらが見えてくる。 論文を書くにあたって必要なものはもちろんデータで、たとえば僕はこちらにきてから初めての論文なわけで、2年以上のデータがたまっている。そのときは「こんなもんでいいかな。」と思っていたデータでもいざ論文にしようとして見直すと「あら」がある。

かといってその実験系はもう閉じてしまっているのでまた同じデータをとり直そうとすると結構な時間がかかるし、こっちとしても終わったつもりになっているのでまたやるのは精神的にもつらい。うまいこと「ごまかして」書いていたところが、ボスに突っ込まれもう一回やれといわれて、なんだか意気消沈した。

(2)投稿する雑誌のグレードに悩む。 自分のデータというのはなんだかよく見えるものだ。たいてい「こいつはいける」と思う。でも冷静に考えてみるとだめかなと思ったりもする。「いける」と思って投稿したところ、けちょんけちょんにけなされて帰ってくることもある。そうなったときの精神的ダメージはでかい。でもやっぱり「ちょっといいところ」に出したいと思うのが人情だ。

ボスは以前から僕の仕事を「いい話だ」といって、ちょっと話したときもかなりいいところに出せるだろうといっていた。なので期待していたのだが、ボスに校正してもらい話をすると、ボスがどんどんグレードを下げてきた。グレードというのは僕らはインパクトファクターというもので考えるので、つまりインパクトファクターの低い雑誌を指名してきたということだ。で、まあそのときはしぶしぶ受けてみたのだがやっぱり考え直してそれなりの雑誌に出したいというと、「まあそれもよかろう」という。彼が考えたのはその内容の「ふさわしさ」だったようで、インパクトファクターというのはあまり考えになかったようだ。僕たちにとっては死活問題だったりするのだが・・・。

(3)英語の勉強になるかも。 「やっぱりネイティブに論文を直してもらえば英語の勉強になる。自分の英語のどこがおかしいのかということもよくわかる。」と期待して校正されて帰ってきたものを読んだ。・・・英語がまるっきり変わっていて、はっきり言って「ここをこうなおした」というレベルではなかった。

(4)論文の構成が変わる、データを削られる。 以前のボスたちは僕が乗っけたかったデータを「削る」ということはほとんどなかった。僕としては「おまけ」としてそれなりに意味があると思って乗せたデータを、「本筋と関係ない」ということでばっさばっさと切り取られてしまった。

これはボスの性格によるのかもしれない。うちから出ている以前の論文を読んでみると、わりと「以前の関連のある仕事」を無視していることが多かった。同じような実験をしているのだから当然引用してディスカッションすべきと僕なら思うところがまったく無視されている。それでいいグレードの雑誌に論文を載せている。

まさに今ボスにされた校正がそれに近いもので、よく言えばそういったその分野の人だけにしか問題にならない「細かくてどうでもいい」ことを削って、広い視野で「多くの人にとってわかりやすい」論文を書くということをしているといえるのかもしれない。

僕はあまり好きにはなれないが・・・大物になるためにはそういう方法も必要なのかもしれない。

by Hismoriya | 2003-06-25 22:47 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

2. 論文を書く(その2?)

暑い。ラボ内は寒いくらいに冷房が効いているんだが、外は暑い。特に帰ろうと車に乗り込むときはたまらなく暑い(セントルイスは今夏時間なので夕方が一番暑い)。

さて、今まさに論文執筆の佳境に入っている。というか、「ボスがいついつまでに書き上げてもってこい!」といってるからなんだが、とにかく今までの論文執筆と違いなかなか思い通りに行かない。

ボスがけちをつけてくるのだ。今までのボスは見方だった。データに対するこっちの言い分を聞いてくれて、何とかうまいこと論文にしようとしてくれたし、僕の文章の言いたいことを組み込みつつ論文を構成してくれた。ところが・・・マークははっきり言って、「もう一人のレフリー」だ。しかも閾値が非常に高い。こちらが苦労に苦労を重ねてひねり出したデータの些細な矛盾点を痛いほど突いてくる。

「だから、僕だって好きでそんなデータの出し方してるわけじゃないよ。」「そんな完璧なデータばっかりそう簡単に出ますかいな・・・。」「それは前に説明したじゃない。」ってなことも言いたくなる。

実際にそんな風に完璧なストーリーを持った論文を作ろうとしすぎるために、ほかのポスドクたちの論文を出すのが遅れ、ライバル達に先を越されてまくっている。つい最近もそんなことがあったが、クリティカルなデータは少々「あら」があっても「出したもん勝ち」というところがある。

また、文章をいじくるのはいいが、僕がぜひとも主張したいことを削るのはやめてほしい。

などど不満をもちながら論文をボスと僕の間で行ったり来たりさせていると、だんだんと見えてくることがあった。「この論文を誰に読ませたいか?」という点だ。「あくまでも広い対象に読ませたい。この分野だけの人間を対象にした入り組んだデータはどうでもいい。」そういうボスの視点が見えてきた。一段上にたった視点。大物になるためにはそういうもんが大事なのかもしれないが・・・。

ある程度文章の校正がすんだところで、投稿する雑誌の要求する形に図や文章の長さを整えなければならない。ところが!投稿しようと思っていた雑誌のレギュレーション(字数や図の数大きさに制限がある)にあわせようとすると、とても収まりきらない。「何でそんなもんがあるんじゃい!ちくしょー!」「いっそのことレギュレーションのない何でもいい雑誌に投稿したろか!」と、かなりくじけそうになった。

けれどまあひとまず何とかスリムアップしてみようといろいろがんばって(つらかった・・・)だんだんとうまいこと収まり始めた。そしてその作業を続けているうちに、なんだかテキストの長さや図の構成などをスリムにすることにある種の快感を覚え始めた。

日本人特有の「エコロジー感覚」だろうか?とにかく無駄をはぶいたり、必要以上に大きな図をコンパクトにしていったりすることはとても気持ちがいいということがわかったのだ。「無駄がない」というのは実はとても気持ちがいいことのようだ。

何でもその特殊な精神世界に入るといままで気づかなかったことが見えてきたりするもんだということがわかった。

さてそんなこんなでなんとか最終的に形になってきた。あとは身内最強レフリーのマークがドラスティックに改造した論文をなんと言ってくるかだろう。

by Hismoriya | 2003-08-28 17:33 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

(注)この当時はまだ、論文に「Supplementary(補充資料)」をつけるのが一般的ではありませんでした。この直後からオンラインでの出版が一般的になってきて、今は削らずにどんどんSupplementaryにデータを押し込んでいくことが普通になってきています。論文が読みにくくなるのでその兆候はあまり好きになれませんが。

 

3. ふー・・・。

さすがセントルイス、9月に入って急に涼しくなった。朝晩はもう秋の様相だ。

さて、論文は投稿まであとわずかだ。それでいろいろと明らかになったこともある。

まず、思ってたとおり、うちのボスはインパクトファクターというものを知らなかった。正確に言うとつい最近まで(前のポスドクが論文を投稿する段になって言うまで)知らなかったそうだ。それで僕に、「どこで調べれるんだ?」と聞いてくる始末・・・地位のある人はいいね。そういうわけで、彼は論文のグレードがある意味インパクトファクターで決まっているという事実はどうでもよくて、「ふさわしさ」で考えているようだ。

そしてもうひとつ。彼がまるでラボ内レフェリーのように厳しい審査を僕の論文にすることについては、彼はこの秋のグラントの審査に向けて是が非でも早く論文を通してしまう必要があるからのようだ。つまりあまり時間がないのだ。出すなら通ってもらわないと困るということのようだ。必然的に無理はしたくないというのが本音だろう。

前のポスドクたちは明らかに無理した投稿してたくせに・・・(同じ雑誌に投稿し、両方ともリジェクト)。それでボスはその雑誌がボスのことを嫌ってるんだとか言い出してるが、はっきり言って、とおりまっかいな!あんな「普通の論文」があの雑誌に!

で、とりあえず投稿しようとしている雑誌があって、あらかじめエディターをやっている人にコンタクトしてみたら、「投稿される論文のうち25%としか通りません」といわれまたボスは弱気になっている。もうこっちとしてはそれが最低ラインで、しかもなんつっても苦労して苦労して短くして磨き上げた論文なので、「少なくとも投稿したい。」とボスに言ったところ、なんとか投稿までこぎつけられそうな状態になってきた。

▲ # by Hismoriya | 2003-09-10 17:32 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

4. めっきり涼しくなった。

論文は投稿した。字数制限に苦しめられまくったが、何とか出した。もしリバイスでもっと実験しろとなったら絶対に収まらない。こんな窮屈な雑誌はもういやだ。

▲ # by Hismoriya | 2003-09-23 17:31 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

5. 論文が帰ってきた。

別に隠してきたわけではないが、隠していないわけでもないそのジャーナルの名前はPNASだ。米国アカデミー紀要というやつだ。まあそれなりのジャーナルだけど通ってないのに名前をあげつらえても意味がないと思ったので名前は出さなかったが、もうどうでもいいし、こういう情報もある意味必要だからやっぱり書いておく。

さて、結果はどうだったか?これがまたストレスフルな結果だこと!エディターが一人で、レフリーが二人。レフリーのうち一人はほぼ手放しでOK。そしてもう一人がほぼ手放しで(?)だめ。エディターはレフリーのコメントすべてに建設的に答えたらアクセプトにしてあげてもいいよ、保証は出来ませんけど・・・という感じ。

腹立たしいのがそのセカンドレフリーのコメントで、「はじめっから落としてやろうと決めてかかってコメントしてんじゃねえのかこいつ」というような内容。データの解釈を無理やり曲解してこちらの結論を否定している。ちゃんとしている部分を無視して、いけないところだけあげつらえて、そのデータすべてを否定するような形で書いているのだ。

こんなのにきちんと対応できるわけがない。こいつをちゃんと納得させるのは不可能ではないかと思わせる。しかもPNASには恐怖の字数制限があって、十分に議論を尽くせないのだ。つまりある程度いろいろ枝葉のところは端折って大事なところを議論していかないと収まらない。

なのにこいつは・・・。いっそのことこいつの言っていることが如何におかしいということをこっちが逆にあげ連ねてエディターへの反論としてやろうかと思うほどだ。

ボスは今グラント申請で忙しくてこちらの論文は後回しになっているが、ボスはなんと言うだろうか?いずれにせよまたまたストレスフルな日々が待っていることは間違いない。

しかしまぁなんというか・・・サイエンスってほんとストレスフルだね。だからこそ成功したときは気持ちがいいといえるのかもしれないが・・・。

by Hismoriya | 2003-10-21 17:26 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

6. まだ愚痴は続く

とにかくこのレビューが返ってくるという時がある意味研究生活において一番ストレスの溜まる時であり、愚痴の一つもいいたくなる時だろう。まあもちろん研究費の申請に漏れたり、新たな職が見つからなくて困ったりというのもあるだろうが...。

というか、人生は研究生活に限らずストレスフルなもんだろう。少しでも自分が「気持ちいい」と思えたり、「エキサイティングだ」と思えたりできる、この世界で仕事ができていることはある意味幸せなのかもしれない。

今日ボスとちらっと話したが、ボスもレビュアー2は例のコンペティティブな論文を書いた人だろうという意見だった。それで、エディターが好意的だったら通るだろうと。でも意外にあっさりしていて、あまり深刻な雰囲気をただよわせてはいなかった。アカンかったらしょうがないなという感じ。

僕はほんとにそのことばかり考えている。せっかちな性格で、気になることがあるとそれが頭から離れない。頭の中が120%そのことでいっぱいになる。

腹が立つのでレフェリーが指摘した実験も含めて思いつく限りの実験をすることにした。僕の中ではもう決着のついた仕事だったが、この腹立たしいレビューのおかげで、ものすごいモティベーションになっている。2人のレビューのおかげで、いろんな意味で自分がかなりいい仕事をした、さきがけになる仕事をしたという自信を持つことができた。一つはもちろんべた褒めだったからであり、もう一つは既存の捕らえ方を持つ人間には理解できないほどの研究の発展、飛躍があると確信が持てたからだ。

今思いついている実験を全てこなせばおそらくレビュアー2の要求を全て満たすことになるが、おそらく字数制限におさまらないだろう。そうなると悔しくはあるが、そういったむかつくレビュアーの要求に全て答えられた上で、自分の書きたいことを全て詰め込んで違う雑誌に掲載されることができればそれでいいと思える。

来月の頭は僕の学会、妻の学会と忙しくなってしまうが、今思いついている実験を一つずつこなして、完璧な論文にしてもう一度投稿することを目指したい。といっても、まだ今の雑誌を諦めたわけではないのだが...。

by Hismoriya | 2003-10-23 17:24 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

7. ちくしょう!

二言目には「ちくしょう!」という言葉が出てくる。

あの第二のレビュア―についてだ。

ただレビュア―のコメントをじっくり読んでいくと実はかなり希望がもてるんではないだろうかと思い始めている。もちろんその対策のために実験をいくつかくみはじめてはいるが・・・。

むかしっから、どうしても「最後のつめ」が甘い。根気がないのだ。だから最後まで実験を完結させて「綺麗なデータ」を出すところに至らない。「意味深なデータ」が出たらついついその先の実験を組んでそのデータで前のデータを補完するという形をとる。で、あとで見ると個々のデータは「あら」残っていて、それが「つっこまれ」の対象になってしまう。プレゼンテーションレベルではそれでいいが、パブリケーションとなると信頼性がかけるというわけだ。

まあそれでもまた最近出たデータはかなり今の論文を強くさせるものなので、それをいくつか実験して堅実なデータを出せば、ここでリジェクトを食らっても、論文としてはいいものになるだろう。レビュア―1のようにべた褒めしてくれるヒトもいるわけだし・・・。

それにしても「レビュー」という作業は、ほんとにそのレビュア―の感性、知識、そして立場というものが反映されてくる。それがレビューというものの本質なのかもしれないが、PNASの場合、あらかじめレビュア―の候補をこちらが指名するのでだいたい誰がやったかわかる。

レビュア―1はあのヒトだろうという検討がつく。

レビュア―2は? つい先日出たコンペティターのところのトップオーサーなんじゃないだろうか?まず、「この論文をもっとしっかり引用しろ」「この論文との大きな違いをディスカッションしろ」と来ている。

PNASという雑誌の持つ性格を考えればそのようなこと(この論文ではっきりと筋道が立っているのに、瑣末なことをグダグダとディスカッションすることに)誌面をさくのは間違っている。

このレビュア―、この論文で新たに発見されたことに対してまったく理解が出来ていないようで、この分野の研究に対する理解が浅いような気がする。つい先日でたコンペティティブな論文は、グルコース感知に歴史があるところから出たのではない。

また分子遺伝学者としてもコメントが何か変だ。分子生物学的実験手法のデータの解釈がおかしく(データをおかしな風につかって変な解釈をする)、細胞生物学的な知識、イメージもできていない。

自分の論文が否定されたことに対して愚痴を言いたくなるのは当然のことなので、こういうことを言ってもまったく説得力がないが、なにせ、これだけの証拠を示しているのに「そんなことあるわけない」「自分にはまったくそのプロセスが想像できない」から、否定しているとしか思えないのだ。

なんというか、まったくこっちの納得いく形の否定のされ方と違うのだ。「あなたの言い分はごもっともでございます」というのがないのだ。

データというのは本当に思ったとおりまったく矛盾なく出ることは少ない。そういう「揺らぎ」というのはあるものだ、そのなかで、そういうデータを積み重ねてひとつのストーリを作り、仮説を作り上げていく。それが研究(特に生物学研究)というプロセスで、またその仮説を検証するためにいくつもの実験を繰り返してその仮説をより頑強なものにしていく。

個々の「揺らぎ」にだけ目を向けてそこにある仮説の「確からしさ」「新しさ」を否定するというのは、サイエンティストとしては、あまり優秀な行為ではあるまい。

by Hismoriya | 2003-10-23 17:25 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

8. 何がモティベーションになるかわからんもんだ。

この研究の世界に身を置いてすでに10年以上が経つが(!)、日々思いを強めることは、「研究とは本当に、やる人間に依存するものだ」ということだ。まさに芸術に等しい。

レビュー2を受けて、いろいろと考え、対策を練っているとだんだんとわかってくることがある。レビュア―2が発表した論文は僕らにとっては驚くことではなかったが、彼らにとっては「たいしたこと」だったわけで、それをともかくも「先に発表した」という手柄はやはり尊重されるべきだったということだろう。つまり僕達は競争に「負けた」わけで、その部分はしっかりと認めてその上で論理を展開していくべきだったといえる。僕らはほとんどそのことを無視していたので、最悪なことにその著者に僕らの論文が行き、そして彼らの怒らせてしまったと。怒らせたらそりゃもう内容なんて関係ないということになる。

いずれにせよPNASではそこまでの論理を展開するスペースもなく、そういう意味では、レビュアー2は「困ったやつ」ではあったわけだが、なんと言っても僕の論文は最初はいろいろと議論を尽くしていたものが、字数制限でばっさりといろいろな瑣末な部分を削ってしまった。結局はそれがすべてのような気がする。

今は今回突っ込まれたことを踏まえた上でもう少し実験して,きちんと論理展開できる「長い」論文を載せられるところに投稿しなおしたいと思っている。

さらに、レビュア―2に対する対抗心は僕に強力なモティベーションを与え、いてもたってもいられなくなった僕は、レビュア―2と思われる人にメイルを書いた。レビュア―2がもっとも問題だといっているところ(彼らのデータとの矛盾点)を追求するために「彼らのシステム(酵母菌株)をください」とリクエストを出したのだ。

その矛盾点については、妻も僕の解釈に賛成してくれた。「データを曲解して都合のいいように解釈した」のは明らかに彼らの論文だった。「何でこんな論文が通ったの?」という妻の一言は僕をかなり楽にさせた。でも・・・そう、先に出したもんがちなのだ。

こんな酵母のグルコース感知などという狭い世界の一つの蛋白質の挙動でなんで論争しなくちゃならんのだろう・・・実にくだらない。

by Hismoriya | 2003-10-25 17:22 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

9. 酵母研究者としての不安

理学部出身で、酵母の世界で仕事をしているといつもどうしようもなく不安になることがある。「はたしてこの研究はどの様に人類の未来に貢献できるのだろうか?」今の仕事を学会で発表したり、論文にしようとした時の周りのレスポンスを見るとそれなりにたくさんの人達が興味を持っていることがわかる。それは日本で酵母の仕事をしていた時と明らかに温度差がある。

にもかかわらず、本当に何が重要なんだろうと思うことがある。ファンダメンタルなことを理解することの意味。酵母研究者は酵母という生物のすべてを知り尽くしたいのだろうか?知り尽くせば何がわかるのだろうか?

グルコース感知。この分野の説明にうちのボス、前のボスは「糖尿病との関連」を訴える。さらに最近では癌細胞との関連も訴えている。つまり、そういった病気との関連を訴えなければ「意味がない」ものととらえられる、自ずから意義が見い出されるものと違うものなのだと言えるのではないだろうか?

僕の論文の中で行われる些末な議論の対象となっている蛋白質は、

(1)酵母にしか見つかっていない。 (2)非常に良く似た蛋白質が2つある。 (3)一つはグルコース依存的にユビキチン化を介して分解を受けるが、もう一つは分解されない(*)。 (4)グルコースセンサーと転写抑制因子と結合する。

という特徴を持っている。論争の対象は、(3)で「もう一つもグルコース依存的に分解する」というのを僕が発表しようとしたら、「分解しない」といった論文を出したグループにけちをつけられたようだ。

この分子、センサーにもくっつき、転写因子にもくっつき、グルコース依存的にリン酸化を受けて、ユビキチン化されて分解される。いうなればこのシステムの中核をなす蛋白質と言える。

けれども高等動物にはない。

このシステムの解析は意味があるのだろうか?リン酸化依存的なユビキチン化と言うのはほ乳類でもいくつかの環境応答などの例で知られている。

更にあるシステムについては、遺伝子治療の対象にすらなっている。すなわちリン酸化サイトを潰した蛋白質を過剰発現させてシグナルをシャットダウンするのだ。

同じようなシステムでもすぐに実用化につながる。ならばそちらをやるべきなのではないかと言うのは誰でも主張することだろう。今回の論文を投稿する時にうちのボスがいった、「所詮酵母のグルコース感知だから」という台詞は僕にはこたえた。

けれども追求に追求を重ねれば、何か本当に新しいものが産まれるかもしれない、それが理学であることは間違いない。問題はそのような「場」が、これからも提供され続けるかであり、そこに自分が入られるかどうかであろう。

by Hismoriya | 2003-10-26 17:21 | アメリカ生活 | Trackback | Comments(0)

 

10. Rebuttal と 紛れもない真実

本格的にレビュア―に対する、Rebuttalが始まった。「こうなったらけちをつけられているところをすべて実験してやる!」といつにない張り切り様である。実は僕はこういったいわゆる「リバイスの実験」というものをしたことがない。

論文がすべて一発で通ったからではなく、どちらかというと「やり逃げ」的な仕事が多かったからだ。「こんな面白そうなこと見つけたんで、後は宜しく。」というような仕事だ。どちらかというよりもその新しさで勝負し、中身の細かい検証は後に残したような・・・。

今回もそんな感じで、出し逃げを狙ったのだ。実際にレビュア―の一人はそれで許してくれた。もう一人の文句たれていたほう、彼の言い分はむちゃくちゃだと思っていたが、対応するためにいろいろ考えをめぐらすと、「なるほど、そう思っても不思議ではないかな」と思い始めた。

それで自分でもう少しつめて実験することにしたのだ。

そうすると自分がいいかげんにしてきたところがやっぱり問題になってくる。それをきちんと「自分の手で」クリアーにしていく。そういった作業はやっぱり「信頼される」ためにはとても必要だと感じている。

しかもこれから自分がこの仕事を引き続きやるとしたらやはりきちんと信頼のおける結果、間違いなく再現できるやり方をきちんと確立しておいたほうがよいのはあたりまえだ。それにしてもそういった作業は本当に骨が折れるし、つまらない。なにせ新しいことを見つけるわけではないからだ。けれど、自分の見つけた新しいことをきちんと細かいところまで時間をかけて証明するという作業、僕は嫌いだったがその作業が本当に大事なんだなと思っている。

新しいことをどんどん見つけて先に進んでいくことと、一つ一つの新しい発見をとことん検証すること、これはなかなか相容れないことだが、両方出来ることが一番いいことであることは間違いない。

ところで「紛れもない真実」というのはなんだろうか?この世界である発見をしたとき、それが「紛れもない真実」になること・・・。そのためにはどれだけの検証を経る必要があるのだろうか?

僕は今僕の見つけたことが「紛れもない真実」だとは思っていない。いくつかのそれを支持する証拠がそろって、「そうなんじゃないか?」「そう考えたらうまく説明がつきますよ。」という仮説、モデルを作るにいたっている。でも、違うかもしれない。まだ違う可能性はたくさんあると思っている。

そういった状況でもやっぱり論文は発表すべきだろう。で、もし、そのあとやっぱり違いましたとなったら・・・「そのときは僕らの言ったことは間違っていた、本当はこうでした。」という論文を出せば許されるのだろうか?

むかーし、僕が学生だったとき、ここにたびたび出てくるS下君にそのことを話したことがある。すると彼は、「それは、そのときはそれが本当だったんだということですよ。」といった。今彼がどう思っているか知らないが、これはある程度的を射た答えだと思う。

そして、むかし、僕が所属していた学部のある教官が言った言葉、「論文は、その仕事を忘れるために出すんや。」というのも僕には忘れなれない言葉となっている。今まではそういう感じで出してきたが・・・今回は明らかに違う。それはこの仕事が、もし本当ならば、大きなブレークスルーとなり、この研究を加速させる推進力になりうると思うからだ。だからこそきっと多くの人の検証にさらされるであろうし、しっかりと自分自身で検証しておく必要があるといえるのだろう。

それにしてもそう考えると、もし医療その他の「実学」に結びつくような研究ならば、その「精度」は非常に高くなければなるまい。なぜならあらゆる方法で検証の対象となるからだ。

by Hismoriya | 2003-10-30 17:17 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

11. リバトルはつづく

論文のリバイスが佳境に入ってきた。結局急いで実験してうまくいったもの、そうでないものなどいろいろあるが、データてしてはそれほど増やすことは出来なかった。そりゃまぁ、出来てりゃぁ最初っからやるってもんだし・・・。

いずれにせよ、論文を投稿するまでは強力なレビュア―の一人となってデータの痛いところをついていたボスだったが、いまや強力な味方となっている。

僕は以前も書いたがあまりリバイスで戦ったことはなかったのだが、今回はとにかくレフェリー2に対する反論(rebuttal)が数ページにわたっている。

ボスによると、論文そのものは繰り返しがなく非常にすっきりと書かなければならないが、リバトルはいくらでもかけるだけ書いてエディターに「参った」と思わせることが大事なんだそうだ。すさまじい量で反論を書き尽くし、いくつかの予備的データを示して、また非常にいい感じになっている。

レフェリー2のおかげでかなり論文の内容も整理しなおして以前以上にいい感じの論文となった。もし今回リジェクトされてもそれなりのグレードの雑誌には投稿できるだろうと思う。

また実験もいくつかつめてやったので、今回の論文には載せられないが、もしデータの問題点をつかれてもすぐにいくつかの付加的実験が出来るような状態になった。

それにしてもレフェリー2のレビューをじっくりと検討していると道でもいいと思っていたことが、そうでもないのかなと思うようになってきた。それを完全に解明するには、誰かの非常に精密な、根気のいる仕事にが必要になる。ただ、その割に得られるものはそう大きなものではなく、この狭い世界の人間達にしか価値がわからないもののような気もする。

しかしこういった狭い世界の問題点でも実は非常にきちんと答えを出せば、それは一つの「モデル例」として役に立つのではないだろうかと、また新たに感じ出している。「きちんと答えが出ること」これは意外に大事なことなのだ。

ただそのおかげで得られるものの大事さはきちんと専門外の人たちに訴えられなければならない。「ただ知りたいからやっているんです」では誰もサポートしてはくれまい。

by Hismoriya | 2003-11-12 17:13 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

12. リバイス投稿し終わる

いやー頑張った。かつてこんなに頑張った論文があったろうか?というかこれまでが頑張らなすぎとも言えるのかもしれないが...。

ボスもほんとに手を変え品を変え論文の中身をいじくった。なんとも時間をかけるひとだと思っていたら、いつの間にか僕より後に論文執筆にかかった、もうでていったポスドクの論文が「in press」になっていた。ややこしいレフリーに引っ掛かったのもあるだろうが、PNASの字数制限、内容の難しさなどもあってこんなに時間がかかったのかもしれない。

それで今日やっとかたちが整ってオンライン再投稿、とおもったら、なんとPNASのオンライン投稿のフォームが変わっていて、以前得たIDが使えず、あらたにIDを取ってログインし、新規に論文投稿の手続きを取るはめになり、さらにこちらで整えた以前の投稿フォームと変わっていてとんでもなく時間を食うことになった。

結局はレビューを送ってきた編集者にメイルで連絡を取ったら、以前と同じフォームでメイルで送ってきなさいと言われ、一件落着した。こういう手続きも自分でしたことはなかったのでとても勉強になった。

あらたにボスが書いたカヴァーレターには、僕らがレビュアー2と想定している人物にはできればレビューをまわさないで欲しいと書いてあった。

いずれにせよ、レビュアーのコメントに答えることによって以前よりずっと良い論文になった。今回の論文投稿は本当にいろいろと勉強になり、投稿論文を書くと言うプロセスの多くを学んだ。このことはこれからの研究姿勢に多くの影響を与えることは間違いあるまい。

そしてこういうことこそが「ポスドク」として学ぶことでこういうプロセスをボスのもとで繰り替えしていって一人立ちできる人間になって行くんだろうと思っている。そういう意味でやはり今のボスは非常にいいボスで、来年の3月でこのラボを去ることが多少残念に思えてもいる。

by Hismoriya | 2003-11-19 17:13 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

13. 今日の出来事

...とかいっているうちに、自分のPNASの論文の結果が帰ってきた。結果はアクセプト。最終的にはエディトリアルボートの了解がないとダメなので、仮アプセプト(?)だそうだ。ほんまにややこしいシステムになっとる。チョコっとだけマイナーな変更がいるけど、ひとまず終わった。「やったー!!」というよりは、「やっとこさ。」という感じ。今回はほんとに手こずった。まあまだ掲載されるまでは安心はできないが...。

そんなところです。

▲ # by Hismoriya | 2003-12-09 19:36 | 一般生活 | Trackback | Comments(0)

 

16. 論文最後の最後の詰め

さてPNASの論文がどうなっているかだが、今日最後のproof(ゲラ)がやってきて、「手直しがあったら明日の午前10時までにファックスしてきなさい」とあった。

校正はPNASのオフィスの担当の人がやっていて、今回で二回目なんだが、勝手に大事なテーブルの行番号を取っ払っちゃったり、マテメソの「この試薬はどこの会社か?」ときいてきたり、「こういうあいまいな表現はPNASは好まないのでこういう風に変えたがいいか?」と聞いてきたり、勝手にハイフンを取っ払っちゃったりなかなか手ごわい。

けれどもこの校正している人は細かいところまできちんと理解して論文を書き換えており、かなりの力量の持ち主だと感じた。こういう人たちをそれぞれの分野用にきちんと用意していて、論文をきちんと校正して、まちがいの極力少ない論文を出版する、PNASの意地を見た気がする。いやもしかしたら僕が経験ないだけでほかのジャーナルもそうなのかもしれないが・・・(僕はたいてい最後の詰めの辺りはボスに任せていたから)。

で、結局どうやら2月10日付けのPNASにでるようだ(こう御期待!)。

この論文の持つインパクトがどんなもんかは知らんが、でないことには話にならないのでまあ一安心といったところだ。

by Hismoriya | 2004-01-27 14:23 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

17. 論文ついに出版

電子版が見られるようになった。

これからが3番目の戦いだ。実際もうでてしまった論文はあまり見たくない。まちがいを見つけるのが怖いからだ。

そして、これからいろんな人の批判や追試の矢面に立たされると思うと正直怖い。その責任をとることが3番目の戦いとなるわけだ。

でもまあでてよかった。分野の違う人の論文を読んでもその価値は良くわからんもんだが(だからセミナーでしゃべってもらう)、何かコメントがあったら寄せてください。

by Hismoriya | 2004-02-04 14:17 | 研究生活 | Trackback | Comments(0)

 

成果発表/論文発表/論文ブログ1のページへ

2008-04-05 (土) 00:00:00