Rgt2グルコースセンサーとカゼインキナーゼIによる出芽酵母のグルコース感知と信号伝達
Moriya H, Johnston M., Glucose sensing and signaling in Saccharomyces cerevisiae through the Rgt2 glucose sensor and casein kinase I., Proc Natl Acad Sci U S A. 2004 Feb 10;101(6):1572-7.
日本語の要約
出芽酵母では、膜貫通型のセンサー(Rgt2とSnf3)が細胞外のグルコースを感知し、グルコーストランスポーター(Hxt)の発現を誘導するシグナルを発生させる。私たちは、センサーがカゼインキナーゼI(Yck1)と共役していることを示す以下の証拠を見いだした。 (1) Yck1の過剰発現は、HXT1の恒常的な発現を引き起こす; (2) Yck1はHXT1の発現誘導に必要である; (3) Yck1はRgt2と結合する; (4) Rgt2の細胞質領域をYck1に付加すると恒常的なシグナルが発生する。Yck1の標的は、介在因子(Mth1とStd1)であるらしい。これら介在因子のリン酸化部位はHXT1の発現誘導に必要で、Yck1はこれらの介在因子をin vitroでリン酸化した。これらの結果は「細胞外のグルコースがセンサーとカゼインキナーゼIを活性させ、介在因子のリン酸化と分解を引き起こし、トランスポーター遺伝子の発現誘導を起こす」というモデルを支持している。
私は酵母のグルコース感知とゲノム解析の中心人物のMark Johnstonの研究室に留学することになりました。Markのラボへの留学が決まったとき、彼は私に彼がもらっているNIHのグラント(研究費)の申請書を見せてくれました。そこには研究の戦略が非常に緻密に書き込まれており、自分が留学したら何をすればよいのかということがかなりはっきりとイメージできました。
ここでの研究対象はそれまでの私のテーマと同じ出芽酵母のグルコース感知でしたが、Yak1-Pop2経路とは別の信号伝達経路で、当時「Glucose Induction Pathway(グルコース誘導経路)」と呼ばれていました。細胞が環境のグルコースの存在を感知してグルコーストランスポーター(輸送体)の発現を誘導するための信号伝達経路です(以下の図)。
Galというのがガラクトース培地(グルコースがない培地)、Gluというのがグルコースがある培地という意味です。
Markの研究室は、ほぼ単独でこの信号伝達経路に関わる因子をほとんど取得し、それらの分子の機能についても多くの知識を手に入れていました。私が着任したとき、3人のポスドクと1人の大学院生がこの信号伝達経路の全容を解明するために研究を進めており、私もそこに参加することになったのです。、私がMarkの研究室に所属した当初、グルコース誘導システムに働く因子とその機構として、だいたい以下の図のようなことがわかっていました。しかしそれが動的にどのようにつながるのかがほとんどわかっていない状態でした。
そのなかでものもっとも大きな疑問の1つは、細胞膜のグルコースセンサー(Rgt2)が、細胞外の情報(グルコース存在・非存在)を感知して、どうやって細胞内の信号を発生させるのかというメカニズムでした。私はそれを是非解明したいと思いました。
上記の疑問はさらに細かく2つに分けることが出来ます。
これを簡単に図にすると以下のようになります。
私の仕事は上記の疑問をいろんな方法で明らかにしていくことでした。
ところで着任した当時、Markは私にグラント申請書にある一つの仕事をやるように言いました。それはグルコースセンサー蛋白質の構造変異体をたくさんとって、その性質からセンサー蛋白質がどうやってグルコースを感じるのかを探るというものでした*3。これはどちらかというと「固い仕事」で、やれば何かは出るがあまりエキサイティングなたぐいの仕事ではないと思いました*4。
さらに複数のポスドクが同じ信号伝達機構を研究しているのですから、お互いに「なわばり」のようなものもあり、もっともストレートフォワードな実験は他の人がすでに手をつけているという状態でもありましたので、まずはこの変異グルコースセンサーの作成をひたすら行うことにしました。
その中には既存の論文の追試のような実験も含まれていましたが、その中で私は以前の仕事の小さなミスを発見しました。このミスは小さいミスでしたが結果が大きくかわってしまうようなミスでした。それを修正する実験を行い、そのコントロール実験のつもりで行った実験がおどろきの発見をもたらしたのです。
それは「「しっぽ」のないグルコースセンサーもちゃんとグルコースを感知して信号を発生させる」というものでした(以下の図です)。これはこれまで想定されていたグルコース感知機構のメカニズムに関する仮説を大きく覆すものでした。
この実験結果を起点として様々な実験を組み合わせてできあがったのが以下のモデルです(下にあるFLASHアニメーションもご覧ください)。詳細はややこしいのでここでは説明しませんが(論文を読んでください)、信号発生の機構がかなりクリアになったと思っています*5。
この論文の草稿は私が全て書きました。私はそれをMarkに見せることで、私の英語の文章力が上がるだろうと期待していたのです。ところが、期待は完全に裏切られました。Markによって手直しされた文章は、元の私の文章とは似てもにつかず「何をどうなおしたのか」全く見当のつかないものになっていたのです。
私には残念ながら違いがわからないのですが、Markの論文の文章が他の研究者からほめられるのを何度も見聞きしたことがあります。彼の論文の文章はすごいらしいのです。今になってこの論文を読み返してみると、その中身の緻密さもさることながら、非常にすっきりとしたストーリーに仕上がっていると思います。これは私の論文でありながら間違いなくMarkの作品なのです。
この論文を書いて発表に至るまでの苦労に関しては、当時のブログに残していましたので成果発表/論文発表/論文作成の苦労(苦悩)をご覧ください。
Markのシステマティックなラボ運営、ボスとしてもつべきおおらかな性格、大胆な決定、論文を書くときの頑固なまでのこだわりなどいろいろなことを学ぶことが出来ました。セントルイスでの生活はゆったりとして楽しく、友人もできましたし非常によいものでしたが、アメリカで生活しているうちに逆に日本がとても好きになり、「日本でがんばりたい」強く思うようになっていったのです。
研究は非常にやりやすかったですが、私が自分でしかできないものを作り出すには、研究上での人とのつながりが必須だと思っていたにもかかわらず、(私の英語能力が十分でなかったために)英語で見ず知らずの人と研究上のつながりを作ることに大きな困難を感じていたのも事実です。
私はこの後、帰国して「システムバイオロジー」という新しい分野に飛び込みました。これについては別のページに書きました。
論文の内容を約2週間かけてFLASHでアニメーションにしました(音が出るので注意)。
#flash(http://tenure5.vbl.okayama-u.ac.jp/~hisaom/HMwiki/media/glucose_indction.swf,width=500,height=300)
この留学の時の仕事で帰国してから何度か招待講演をさせていただきました。その時の要旨の1つをここにのせます(割とわかりやすいので)。また日本語の総説も1つ書かせていただきました。
細胞外の環境に対応して細胞内環境(遺伝子発現など)を変化させる能力は生命であることの大きな特徴である。細胞外の栄養素の有無を感知するシステムは、生命にとって特に重要であり、このシステムの欠損は生命にとって大きな不利益をもたらす(糖尿病などがこの例である)。
ほとんど全ての細胞種にとって重要な炭素源であるグルコースも、いくつかのシステムによって感知されることがわかっている。ブドウ表面を生育場所とする出芽酵母 (Saccharomyces cerevisiae)は、特に非常に良く洗練されたグルコース感知システムを発達させており、この分野の研究によって、シグナル伝達機構、転写制御機構、遺伝子ネットワークの解析などで基礎的生物学研究に貢献している。
私達はグルコースがホルモンのように細胞表面のレセプター分子によって感知され、細胞内シグナルを発生し、グルコース輸送体の転写を制御する系(グルコース誘導システム)を発見し、解析を進めている。今回のセミナーでは、このグルコース誘導システム研究の最近の成果を、特に出芽酵母で発達しているゲノミクスによる解析手法などとともに紹介したい。
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出芽酵母のゲノムの全塩基配列が決定されたのが1996年です。これによって、私たちはPCRを使えばすべての遺伝子を容易に手に入れることができるようになりました。未知の遺伝子や蛋白質を同定した場合にも、その一部の塩基もしくはアミノ酸配列がわかればすぐに遺伝子の全長が手に入るようになりました。これはこれで非常に便利な事でしたが、「ポストゲノム」のパラダイムシフトを感じるほどのすごさはありませんでした。またゲノムが決まってから、マイクロアレイによる遺伝子発現の網羅解析(トランスクリプトーム解析)も可能になりましたが、当時の私にはあまり必要の無いものでした。
私がポストゲノムの驚異を始めて感じたのは、L研時代に発表されたある一つの論文からでした。この論文では、酵母の6000の遺伝子それぞれをすべてプラスミドにクローンして、一つ一つの遺伝子から発現する蛋白質を(GST融合蛋白質として)別々に精製できるようなコレクションを作っていました。これが出来てしまえば目的の活性を持つ蛋白質の遺伝子を容易に手に入れることができるのです。遺伝情報とその機能(蛋白質)が一対一で結びつく革命的な技術でした。
私はこの論文を読んだときの衝撃を今でも覚えています。私はちょうどこの論文を見たとき、Pop2キナーゼの精製・同定を一年かけて終え、論文を書いていた頃だったと思います。このコレクションがあればPop2キナーゼなどあっと言う間に決まったでしょう。技術革新というのはとても恐ろしいことだとその時思ったのです。日本でこのセットを手に入れようとすると当時百万円程度し、とても手に入れられるものではないと思いました。実はその時にはPop2フォスファターゼの同定を進めていましたので、フォスファターゼのコレクションについては、L研で自前で作りました。
これらがMarkのラボには既にあったのです。しかも、最初の論文で出ていたアレイはあまりよくなくて、その次にきちんと中身を確認したアレイというものが出回っており、それがありました。Markラボが酵母研究の中心に有るというのはこういう事です。私は試しにこのアレイの中からプロテインキナーゼのセット(120個)を使って、Pop2をリン酸化するキナーゼの同定を行ってみました。2週間でYak1とさらに弱い活性を持つもう一つのプロテインキナーゼに簡単にたどり着きました。