gTOW6000論文解説のページ・トップへ

 

第1章:gTOW6000はどのようにして作られたのか?

1. なぜこの研究を始めたのか?

慣例にしたがい、なぜこの研究を始めたかを書きます。余談ですが、論文には必ず「イントロダクション(序論)」があり、その研究の学術的な背景が記述されます。「なぜこの研究が必要なのか」、「今までにどんな事がわかっているか」、などを書きます。ここではそんな事は書きません。もっと現実的な動機を書きます。

この研究を始める直前、私はソニーCSL所長(当時は副所長)の北野宏明氏が主催する、北野共生システムプロジェクトの研究員でした。東京有明にあるがん研究所に研究スペースを頂き、2006年にはこの論文でもちいた「遺伝子つなひき法」による出芽酵母の細胞周期の制御遺伝子の解析の論文を発表し、その後「さきがけ」という研究資金も頂き、研究スペースは頂いていましたが独立した状態となりました(半独立という状態ですかね)。

この研究のきっかけは、細胞周期の30の遺伝子の遺伝子つなひき法による解析を終えたときに、北野氏が言った「じゃあ、次は遺伝子全部(6000個)かなぁ?」*1という一言でした。酵母の研究者でない方は、「6000個の遺伝子をあつかうなんて」と思われるかもしれませんが、酵母では2002年にすでにすべての遺伝子のそれぞれを破壊した、破壊株コレクションが作られていました*2し、後に述べるように、当時には、酵母のすべての遺伝子を過剰発現させるプラスミドセットも既に完成していました*3。私自身もそういったコレクションの一部を使っていましたし、現実としてできないことではないのはわかっていました。しかし自分の手でコレクションを作るとなると話は違います。解析にかかる予算、大量のサンプルをあつかう方法論、現実的に可能なのかどうか見当がつきませんでした*4

2. スーパーテクニシャン蒔苗氏の登場

北野氏の「つるの一声」でこの研究が早速スタートした、という訳ではありません。上に書いたように、現実的に私たちの力で、ゲノム上のすべての遺伝子を網羅した「ゲノムワイドコレクション」が作れるのか、「じゃあ始めますか。」と簡単にできる解析ではありません。

さて、がん研究所の北野研究室では、技術員をもう一人雇用する事になりました。技術員とは、実験技術をもっていて研究を支援してくれる人たちのことで、「テクニシャン」と業界では呼びます。2007年に技術員の蒔苗氏が着任しました。彼には、実際にゲノムワイドコレクションの作成をしてもらうかは別として、まずは細胞周期の制御遺伝子の解析対象を広げたり、解析の自動化にむけて分注ロボットを利用できるようにセットアップをお願いしました。

そして、ロボットのセットアップがうまくいったある日、とりあえず酵母の一番染色体にのっている遺伝子を解析しようとしてみることにしました。一番染色体は酵母が持つ16本の染色体のうち一番小さく、マイクロプレート1枚に収まる90程度の遺伝子しかか持っていません。これならば、うまくいかなくても撤退は可能なレベルですし、「一番染色体のすべての遺伝子を解析しました。」という論文を発表する事も可能です。酵母のゲノムの塩基配列が決定された時も、最初は染色体一本ずつ報告がなされたわけですし。

ここで、この研究にどんな作業を行う必要があるのか少し説明します。やるべきことは、酵母が持つ遺伝子の1つ1つを取り出して、遺伝子つなひき法にもちいるプラスミド(環状の小さなDNA)に組み込む事です。この作業を業界では遺伝子クローニングと呼びます。それぞれの遺伝子領域をポリメラーゼ連鎖反応(PCR)で増幅し、プラスミドに組み込むのです。このときに必要なものは、PCRのためのプライマー、そして組み込む技術です。プライマーの設計はスクリプト言語を操れる海津君という博士課程の学生*5がやってくれました。PCRで増やした遺伝子領域のDNAは、Gap-Repair Cloningという高効率の方法で酵母内でプラスミドに組み込みます*6

蒔苗さんにこの実験をお願いして、何日かたったときに見せてもらった結果は今でも忘れません。それぞれの遺伝子が組み込まれたプラスミドを持つはずの酵母が、ロボットを使って整然とスポットされた培地でした。それぞれのスポットから細胞の集団であるコロニーを2つずつとって、ちゃんと目的の遺伝子がプラスミドに組み込まれているか確かめ、リアルタイムPCR法で限界コピー数を測定、すべてうまくいきました。このとき、「私の研究室で6000の遺伝子の解析ができる」と確信し、プロジェクトがスタートしたのです。まさに、スーパーテクニシャン蒔苗氏がいたからこそ可能になったプロジェクトだといえます。

ちなみに、私たちはこの仕事を「gTOW6000プロジェクト」とよんでいました。測定に使う実験法は、「genetic tug-of-war」という英名で、これを省略してgTOWと呼んでいるから、また対象とした出芽酵母は全部で約6000の遺伝子を持っているからです。という事で、今後この仕事をgTOW6000、もしくはgTOW6000プロジェクトと呼ぶ事にします。下記はプロジェクトのロゴです。

pukiwiki.png

3. 迫るタイムリミット

「6000個の遺伝子をプラスミドに組み込み、そのプラスミドを持つ酵母を培養し、その酵母の中にあるプラスミドのコピー数を測る」、これがこのプロジェクトのミッションです。当然ながらこのような研究には予算が必要です。最もコストがかかるのは、遺伝子を増幅するためのプライマーの合成とプラスミドのコピー数を測るためのリアルタイムPCRにかかるコストです。そして、当時限られていたのは「時間」でした。北野共生システムプロジェクトの最終年度が近づいていて、予算が使える期限が迫っていたのです。急いでプライマーをすべて合成(外部に委託して合成します)、これはいいとして、問題はリアルタイムPCRです。当時の研究室に装置はありましたが、フル稼働しても間に合いそうにありません。

この時に私たちを救ってくれたのは、「日本遺伝子研究所」という仙台にある会社でした*7。彼等はリアルタイムPCRの受託研究を請け負っていました。交渉の末、なんとか私たちが必要とするサンプル数を期限内に解析してもらえるという事になりました。交渉のために蒔苗さんと仙台まで出向き、帰りの新幹線までの時間に上った青葉山の伊達政宗の像にこのプロジェクトの成功を誓ったのをおぼえています(と同時に非常に寒かった事も)。

リアルタイムPCR解析のめどが立ったとは言え、解析用のサンプルを作るのは私たちです。この時本当の意味でプロジェクトがスタートしました。これだけ大規模の実験を、私と蒔苗さんの2人で短期間に行うのはほぼ不可能です。藤本さんと松原さんという2人のテクニシャンの方に助けてもらいました。北野プロジェクトのもう1つの研究室があった横浜の理研に、がん研究所の研究室と全く同じ設備をセットアップし、プロトコルを統一、共通のwikiに書き込む事でプロジェクトの進捗を管理しました。彼女達は、以前理研にあったゲノムサイエンスセンターで働いておられた事があり、その大規模解析で鍛えられたピペットさばきはまさに「職人芸」でした。

4. 「みどりいろの藻のようなものが・・・」いくつもの苦難

このプロジェクトではデータの制度管理のために、いくつもの工夫を行いました。酵母を培養したデータを半自働で解析したり、市販のスキャナーを改造して酵母の培養後の写真を撮影して保存したり、これは現在の私の研究室でも使われているものです。また、学生と違って土日は休みであるプロのテクニシャンが継続的に実験できるように、週間で実験のスケジュールを組むだけでなく、プログラムで温度管理が可能な培養装置を導入し、培養が終わった酵母は自動で冷蔵できるようにもしました。学生には必要のない事だと思いますが。

上記のお2人の協力もあり、なんとか解析用のサンプルの調整はおわり、サンプルを冷蔵庫に保存してすこしずつ日本遺伝子研究所に送り、解析をしてもらいました。この時、予想外のことが起きました。サンプルを長く保存しすぎた事で、サンプルが乾いてしまったり、変性してしまったりしたのです。ある時、先方から「サンプルにみどりいろの藻のようなものが生えていて、解析に失敗しました。」というメールが届き、蒔苗氏と2人で青ざめました。その後、サンプルの解析結果が届くたびに「解析うまく行っていますように!」と、祈るようにメールをひらいたものでした。今にして思えば、サンプルは冷凍保存しておけばよかったのでしょうが。

ところで、この解析はなるべくいろんなところで「ひとの手がかからないよう」工夫しました。PCRやそのサイズのチェック、酵母の形質転換、酵母の培養、リアルタイムPCR用のサンプルの調整などです。ところが1つだけどうしてもそれができないステップがありました。それはプラスミドが導入された酵母のコロニーをピックアップする段階です。gTOW6000プロジェクトでは、1つの遺伝子につき2つずつコロニーをピックアップしました。コロニーのサイズは1mm以下。これをピペットのチップで突っついて液体培地に移す。これが一番しんどい作業でした。

5. ニッパチの法則? 落ち穂拾いはとても疲れる。

大規模解析の特徴として、ざっくりと解析したあと、取りこぼしたものを解析するのに、最初のざっくり解析とおなじ労力がかかり、さらにその取りこぼしを解析するのにも、同じ労力がかかるという、「ニッパチの法則」があります。最初の80%と残りの20%が同じ労力、その20%のうちの80%と残りの20%が同じ労力、というわけです。私たちはもう少し成績が良くて最初の90%くらいはすんなりと解析が終わりましたが、最終的に95%に持っていくまでに非常に苦労しました。

「ざっくりと解析して90%ならそれでいいじゃないか?」と思われるかもしれませんが、私たちの研究目的は、後に述べるように、「わずかなコピー数の上昇で細胞を殺してしまうような遺伝子」を同定する事です。簡単にとれなかった遺伝子、残りの10%の遺伝子にこそ、このような「宝」が沢山ある可能性が高いのです。「なぜ簡単にプラスミドにクローンされなかったのか?」、これが非常に重要で、これらの取りこぼした遺伝子にはより注意しなければなりません。私たちは、この取りこぼしの解析を、「Gleaning(落ち穂拾い)」と呼んでいました。

とりこぼしをほぼとり終え、95%以上の遺伝子が解析された状態になりました。これがまずはこのプロジェクトが一段落ついたところといえます。このプロジェクトで重要なのは、単にプラスミドに遺伝子を組み込む事ではなく、その事によって、それぞれの遺伝子のコピー数をどこまであげられるかを調べる事です。そうではあるのですが、原理上このプラスミドコレクションは、「それぞれの遺伝子を過剰発現する」目的で利用できます。せっかくお金と時間をかけて作ったのですから、できるだけ沢山のひとに利用してもらいたい、ということでこのプラスミドコレクションは、論文が発表される前に公共の資源センターであるNational BioResource Project (NBRP)-yeastに寄託しました。他のゲノムワイドコレクションよりはずっと安価で皆さんに利用していただけるはずです。

以下は、「gTOW6000プロジェクト」の概要です。

 
gTOW6000-1.png
 

実は、論文発表前のプレゼン等では蒔苗氏がベースのデザインを作った以下の図を使っていたのですが、論文投稿でレビューアーに「分かりにくい」といわれ、上記の魅力のない図に書き換えたという経緯があります。

 
gTOW6000-2.png
 

第2章「gTOW6000のデータを解析する」に、続く。


*1 「新しいものをつくったら、できる事は全部やって、プライオリティーをとってしまう」という産業界の視点を持った北野氏の考えから飛び出した言葉です。
*2 Giaever G, Chu AM, Ni L, Connelly C, Riles L, Véronneau S, Dow S, Lucau-Danila A, Anderson K, André B, Arkin AP, Astromoff A, El-Bakkoury M, Bangham R, Benito R, Brachat S, Campanaro S, Curtiss M, Davis K, Deutschbauer A, Entian KD, Flaherty P, Foury F, Garfinkel DJ, Gerstein M, Gotte D, Güldener U, Hegemann JH, Hempel S, Herman Z, Jaramillo DF, Kelly DE, Kelly SL, Kötter P, LaBonte D, Lamb DC, Lan N, Liang H, Liao H, Liu L, Luo C, Lussier M, Mao R, Menard P, Ooi SL, Revuelta JL, Roberts CJ, Rose M, Ross-Macdonald P, Scherens B, Schimmack G, Shafer B, Shoemaker DD, Sookhai-Mahadeo S, Storms RK, Strathern JN, Valle G, Voet M, Volckaert G, Wang CY, Ward TR, Wilhelmy J, Winzeler EA, Yang Y, Yen G, Youngman E, Yu K, Bussey H, Boeke JD, Snyder M, Philippsen P, Davis RW, Johnston M., Functional profiling of the Saccharomyces cerevisiae genome., Nature. 2002 Jul 25;418(6896):387-91.
*3 Sopko R, Huang D, Preston N, Chua G, Papp B, Kafadar K, Snyder M, Oliver SG, Cyert M, Hughes TR, Boone C, Andrews B., Mapping pathways and phenotypes by systematic gene overexpression., Mol Cell. 2006 Feb 3;21(3):319-30.
*4 今振り返って考えると「見当がつきませんでした」というのは正しくありません。自分がこれまで所属していた研究室、自分が行ってきた研究を振り返ると、このような「ゲノムワイドコレクション」を作る現場を見てきましたし、その小規模なものを作ってきましたし、あつかい方を見てきていたのです。現実に6000クローンを作った事はなくても、できる素養はたまってきていたのだと思われます。
*5 現在、理化学研究所
*6 Gap-Repair Cloningを使ったおかげで、この研究は(おそらく)他のゲノムワイドコレクションの作成よりも、ずいぶんと低コストで行う事ができたと考えています。
*7 日本遺伝子研究所は、東北大震災で津波の被害を受けましたが、現在は復旧しているようです。津波被害がわかる航空写真をみて、日本遺伝子研究所が被害を受けている事を知った時には、とてもつらい気持ちになりました 。