完璧な実験系というのは存在しません。遺伝子つなひき法にもいろいろと問題となりそうな点があります。ここでは、遺伝子つなひき法に関して「よくある質問とその答え(FAQ)」を通じて、逆に私たちの研究分野ではどのようなことが議論の対象になるのかを理解していただくことを目標としています。
このページで示しているデータはすべてPLoS geneticsの論文に掲載している内容で、gTOWを用いて出芽酵母の30の細胞周期関連遺伝子の解析を行ったときのもので、出芽酵母の6000すべての遺伝子の解析を終えた*1現在では、少し改訂が必要な部分もあります。近日中に改訂したいと思います。
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gTOW実験は、標的遺伝子のコピー数をあげることでその遺伝子から発現する蛋白質の量が増え、それが限界を超えてしまうことが、標的遺伝子自身の上限を規定しているという考えにもとづいています*2。ただ当然ながらこの実験では、プラスミドDNAそのものの量も増えているのです。この増えてしまったDNAが何か悪さをする可能性はすてきれません。*3それがこの質問の意図です。
同様に、「プロモーター領域のコピー数があがることで、転写因子が希釈されてしまうのでないか?」という質問も、この質問と同様な考えに基づいています。
この可能性を否定する実験として、クローンした標的遺伝子を壊してやるということが考えられます。「標的遺伝子のDNA自体は増えるが、その遺伝子から蛋白質ができないようにしてやる」訳です。どうすればよいでしょうか?私たちがとった方法は、遺伝子に「フレームシフト」を導入するという方法です。標的遺伝子の開始コドン(ATG)のすぐ後ろにもう一つAを挿入するのです。こうすることで、プラスミドDNAの塩基配列そのものは1ヌクレオチドしか違わないのに、標的遺伝子の読み枠がずれ(フレームシフト)機能する蛋白質はできなるという、大変厳密な対照実験が可能になります。これを30の遺伝子について行った*4結果が上のスライドです。フレームシフトを導入すると遺伝子のコピー数を下げる制約が外れて、標的遺伝子を持っていないベクターと同じレベルまでプラスミドのコピー数があがります(オレンジの○)。gTOWがおきている指標となる細胞の増殖の遅延も見られません。したがって、gTOWでは増幅するDNA(あるいはから出てくるmRNA)がコピー数を決めているのではなく、標的遺伝子から発現する蛋白質が決めているのだと言えます。
確かに細胞内の転写や翻訳のリソースをすべて奪い取ってしまうような過剰発現は細胞を殺してしまう可能性があります。目的の蛋白質を細胞に作らせるために行われる過剰発現はしばしば細胞を殺してしまいます。ただ酵母での遺伝子の過剰発現の網羅的な解析(文献)などからもわかるように、多くの場合には過剰発現はその蛋白質に独特の効果をもたらします。遺伝子の過剰発現のページではこれらのトピックの一般的な理解について書いてあります。さて、gTOWではどうなのでしょうか?
2003年にGhaemmaghamiらが酵母細胞内でそれぞれの蛋白質がどれくらい存在しているかをかなり大規模に測定しました。このデータ、つまり1コピーの遺伝子から発現している蛋白質量と、gTOWのコピー数の上限を比較したのが上記のスライドです。もし、この2つの要素が負の相関を見せれば*5、それぞれの蛋白質が非特異的に細胞に悪影響を与えているということになります。しかし、そのような相関関係は見られません。たくさん発現しているMAD2の上限は比較的高いですし、その他の発現量の低い遺伝子でも上限が低いものもたくさんあります。
遺伝子が発現して蛋白質になるまでには、いろいろな制御のステップがあります。このうちどこかにフィードバックがあれば、遺伝子の発現量が蛋白質の存在量にうまく反映されません。gTOW実験ではこのような制御も含めてロバストネスを考える実験ではありますが、これも知っておく必要があります。
これを調べるための最もストレートな方法は細胞内の蛋白質量を測ってやることです。しかしこれがそう簡単な実験ではありません。遺伝子操作ができる酵母で最も一般的なやり方は、標的の蛋白質に市販の抗体で認識される一般的な抗原部位(エピトープ)をつけてやり、ウエスタンブロッティングを行うことです。しかし、gTOWでは遺伝子や蛋白質に対するわずかな操作が、それらの活性に影響を与え上限を変えてしまうのです*6。したがって、それぞれの蛋白質そのものを認識する特異的抗体を用いなければなりません。しかし、すべての蛋白質についての抗体が存在している訳ではないのです。幸いなことに酵母の細胞周期関連蛋白質については、Santa Cruzという会社からかなりたくさんの抗体が販売されています*7。これを用いて定量的なウエスタンブロッティングを行うことで、11個の蛋白質については遺伝子のコピー数と蛋白質量に相関を認めることができました。1つだけ相関の無い遺伝子がありました*8。この理由は今のところ不明です。実際のウエスタンブロットの図はこちらをご覧ください。
遺伝子を破壊したときに細胞が死ぬなら、その遺伝子は必須であると言います。ただし必須でないからといってその遺伝子が重要でないということにはなりません(「重要な遺伝子」という考え方をお読みください)。ただ、必須である(つまり下限がある)ということと上限の低さには何か関係があるのでしょうか?
出芽酵母では約6000のすべての遺伝子の破壊株が作られており、それぞれが必須かどうか調べられています。このデータとgTOWの上限を比較したのが上図です。ご覧のように両者に相関裸子着物は見られません*9。
これはすこし専門的な質問ですが、微生物のように世代時間の短い生き物をストレス環境下で培養し続けるとそれに適応して遺伝的に変化(変異)した細胞が生じてきます。これをリバータントと呼びます。gTOWも「生き死に」の選択をかけますのでリバータントとが生じる可能性があるのです。
たとえば上限の低い遺伝子でgTOWをやっていると突然増殖の早い細胞が生じてくることがあります。このような細胞ではプラスミドのコピー数も非常に高くなっています。これはゲノムやプラスミドのどこかに変異が入ってしまい、gTOWからエスケープした細胞(リバータント)であると思われます。どこに変異が入っているのかを調べることはそれはそれで興味深いことですが、まずはgTOWで上限がはかれるように実験条件をうまく設定してやる必要があります。私たちは、コピー数を引っ張り上げる条件(ロイシン欠乏条件)に細胞を移してから50時間で細胞を解析することでできるだけリバータントをさけるようにしています*10。
これは特に高等生物を扱っている研究者から良く受ける質問です。酵母のような微生物の場合には「細胞が生える/生えない」という指標をもとに自分の知りたい生命現象が機能しているかどうかを調べる場合が多くあります。たしかに高等生物で「生きるか死ぬか?」というようなおおざっぱなくくりで生命現象ととらえることはあまりないかもしれません。
gTOWでは対象とするシステムでどのような因子が、どのような機能を持つのかある程度わかっている事が前提となります*11。特に出芽酵母の細胞周期のように高精度の数理モデルが構築できるレベルにまで知識がたまっていて「標的の遺伝子を過剰発現したら、なぜ、どのように死ぬか?」という部分はすでにわかっているからこそ、「どれくらい遺伝子発現をあげたら死ぬのか?」ということを集中して調べる事に意味があるのです。
ちなみに、分裂酵母は出芽酵母よりも細胞周期の異常による「死にざま」がずっとわかりやすく、gTOWで細胞周期遺伝子を過剰発現した場合でも「なぜ、どのように死ぬか。」が観察されやすい生き物です。
「コピー数が100倍になるという普通ありえない摂動で、生命のことが分かるのでしょうか?」というのも、同じような意図の質問だと思います。この実験手法の摂動はあまりにも現実離れしているので、実際の細胞のシステムを調べるには不適切ではないのか、という質問です。
腫瘍細胞や特定の細胞では「遺伝子増幅」という現象により遺伝子が100コピー以上になることがありますが、これは多くの遺伝子に一般的におきることではありません。gTOWでは、遺伝子の過剰発現を人工的に行なって細胞システムの特性をとらえる方法です。
ただ、gTOWでは遺伝子のコピー数を上げる事によって、遺伝子の発現を上げる事を目論んでいます。遺伝子によっては、環境の変化によって発現量が変わるものがあります。たとえば、細胞が熱ショックにさらされると、特定の遺伝子の発現が数倍〜100倍に上昇します。熱ショックがない状態で、このような遺伝子のコピー数をgTOWであげてやることをすると、「その遺伝子の発現が、本来発現しない状況で誤ってONになってしまった状態」を人工的に作り上げることができます。この状況は、その遺伝子の活性を制御する転写因子の変異によって実際に起こりえます。
また、この実験手法は、細胞内の遺伝子のコピー数をいきなり100倍にする訳ではありません。原理的に、コピー数を「徐々に上げていき」、限界に達する前のコピー数を知ることができる手法です。100コピーになるまでに、細胞に不利益がなければ100コピーになるのです。
更に少し専門的な話になりますが、遺伝子Aの上限が100コピー以上だったとして、別の遺伝子Bを壊した時に、それが10コピーになったとします。このときには、遺伝子Bが、遺伝子Aの上下の高さを補償する何らかの機構に関わっている,という事が調べられるのです。
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