Dosage Balance Gene

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このページでは、量的均衡遺伝子(Dosage Balance Gene)について解説します。現在、守屋と共同研究者の牧野氏(東北大学)の研究の対象であり、近く発表される論文の中にもでてくるものなのですが、一般的には知られていない概念だと思いますので、ここに解説のページを作りました。

2012年10月(もともとは2010年度の科研費申請のために書いた文章です)。

 

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量的均衡遺伝子とは?

遺伝子コピー数が変動するとパートナー遺伝子との量的不均衡(遺伝子量不均衡)により細胞機能に悪影響を及ぼすような遺伝子の事を「量的均衡遺伝子」(Dosage Balance Gene:DBG)と呼ぶ。

複数種の蛋白質からなる複合体のサブユニットの1つだけが過剰にあると、複合体の機能が破綻する場合がある(化学量不均衡)。このような複合体の構成成分の遺伝子は量的均衡遺伝子である。酵素遺伝子が量的均衡遺伝子となる最もシンプルな例を下図に示した。この他にも、細胞骨格のような機能性複合体のサブユニットや転写因子の制御でも化学量不均衡が機能の破綻を生むと考えられる。

Imbalance2.png
 

量的均衡遺伝子の性質(再確認)

  1. 量的均衡遺伝子のコピー数の変動は、細胞機能にとって悪影響を及ぼす。
  2. 遺伝子量不均衡をおこす対象となる遺伝子(パートナー遺伝子)が存在する。
    • パートナー間の遺伝子コピー数の量比は一定に保たれていなければならない。
  3. 遺伝子量不均衡は、遺伝子産物の化学量不均衡によって生じるが、その分子機構は様々である。
 

量的均衡遺伝子は、ゲノム上にどれくらいあるのか?

それでは、実際に量的均衡遺伝子はゲノム上にどの程度存在しているのだろうか?上記の性質をもとにすれば量的均衡遺伝子を同定することが可能である。

ゲノムの情報学的解析から量的均衡遺伝子を同定する

近年、多くの生物種のゲノムが解読され、そのゲノム情報を比較する事で遺伝子の機能を予測したり、生命の進化を理解しようとする研究が急速に発展している。量的均衡遺伝子をゲノムの情報学的解析から明らかにしようとするアプローチがある。

  1. 量的均衡遺伝子のコピー数変動が、細胞機能に悪影響を及ぼすのであれば、生物の進化の過程でのsmall-scale gene duplication (SSD)と呼ばれる遺伝子コピー数の増加や、個人間で遺伝子のコピー数にバリエーション(CNV)がおこりにくいと考えられる。
  2. 量的均衡遺伝子は、パートナーと伴ってコピー数が変化する事は許容する。従って、量的均衡遺伝子は、進化の過程でゲノム上のコピー数の量比が保存されていると考えられる。特定の生物では、「全ゲノム重複」という現象により一旦すべての遺伝子のコピー数が倍加し、その後急速に一方のコピーが失われた歴史がある。このとき、量的均衡遺伝子では、パートナーも同時に失われなければ遺伝子量の不均衡が起きるため、倍加したままゲノムに保持されやすいと考えられる。なお、全ゲノム重複の後に失われず現代まで保持されている遺伝子は、オーノログと呼ばれている*1

ヒトのゲノム上の遺伝子を以上のような前提のもと調査したところ、SSDやCNVがおこりにくい遺伝子とオーノログが非常に高い確率で一致することが分かった*2。従って、オーノログは量的均衡遺伝子である可能性が極めて高い。

一方、このような解析で取得されるのは、あくまでも量的均衡遺伝子の「候補」にすぎない。特に、積極的な遺伝子操作が難しい高等生物では、実際に量的均衡遺伝子であるかの検証実験はきわめて難しく、その全容解明には多くの年月が必要であろう。さらに、遺伝子量不均衡を生む実際のメカニズムについても、確からしさが明らかでない「候補」を用いた予測は危険であるため、いまだ不明な点が多い。

 

実験による量的均衡遺伝子の同定

上記の同定法は、生物が既に持っているゲノムの情報から量的均衡遺伝子を同定しようとした研究である。これとは別に、生物学実験により細胞に人工的な操作をくわえる事により量的均衡遺伝子を取得しようとするアプローチがありうる。

その実験では、以下のような手順で行なわれる。

  1. 人工的に遺伝子のコピー数を変動させてやり、それによって細胞機能に悪影響を及ぼす遺伝子を同定する。
  2. その遺伝子にパートナーがあるかどうか調べる。

この実験を行えば、実質上量的均衡遺伝子を同定することが可能である、しかし実際にはこのような実験を正確に行なうことができる生物は限られている。ヒトなどの真核生物のもっともシンプルなモデルである出芽酵母では、遺伝子のコピー数の上昇により細胞増殖に影響を与える遺伝子を同定する実験系「遺伝子綱引き法」が既に開発されている*3。さらに、遺伝子綱引き法を組み合わせれば、上昇によって細胞増殖に影響を与える遺伝子のパートナーの同定を行なうことができる*4

従って、遺伝子綱引き法を出芽酵母のゲノムの全遺伝子で行いコピー数変動が細胞に許容されない遺伝子を取得し、さらにそのパートナーの同定を行なえば、量的均衡遺伝子の全容が明らかになると期待される。さらに、出芽酵母では、それぞれの遺伝子産物の機能や、それが細胞内でどのような複合体を作り、どのような機能制御を受けているのかということが、非常によく分かっていることから*5、遺伝子量不均衡を引き起こす、具体的な分子メカニズムも明らかになるだろう。

 

なぜ、量的均衡遺伝子を調べるのか?

上述した量的均衡遺伝子の性質から、量的均衡遺伝子には以下に述べるような重要な役割を果たしていると考えられる。

量的均衡遺伝子と病気との関連

最適な遺伝子コピー数が厳密に決められている量的均衡遺伝子では、遺伝子のコピー数が変動すると生物にとって有害な影響を及ぼすと考えられる。したがって、遺伝子コピー数の変動によって生じる疾患の多くには、量的均衡遺伝子が関わることが予想される。実際に、ヒトゲノムのオーノログ(量的均衡遺伝子の候補)には、これまでに報告されている多くの病気に関わる遺伝子が含まれることが示されている*6

ヒトでは21番染色体が1本増えること(トリソミー)によりダウン症を発症するが、この原因は、21番染色体上の遺伝子のコピー数が増加したことによるのは間違いない。従って、ダウン症の原因となっているのは21番染色体上に存在している量的均衡遺伝子である事が予測される。実際に、ダウン症候群関連遺伝子は75%という非常に高い頻度でオーノログを含むことが明らかとなっている*7

 

量的均衡遺伝子がゲノムの構成を規定する

ヒトでは、21番染色体のトリソミーはダウン症の原因となるし、それ以外のトリソミーは致死となる。また、出芽酵母で16本ある染色体いずれか一本を増やすと増殖が著しく低下する。量的均衡遺伝子の性質から考えると、この現象には、増えた染色体上にある量的均衡遺伝子が深く関わっていると考えられる。量的均衡遺伝子を含むゲノム領域は、パートナー遺伝子とのバランスがあるために、容易にはコピー数を変動させることはできない(変動すると細胞の増殖阻害が起こる)。

したがって、量的均衡遺伝子はこのようなゲノム異常が発生したときに子孫を残さない(残させない)機構として働いているとも言える。さらにこの考えを発展させると、「量的均衡遺伝子とそのパートナーがゲノム上に散在し、お互いの染色体領域の量比を拘束するネットワークが張り巡らされ、これが進化の過程でのゲノム構造を規定し、かつ現在の生命のゲノムの完全性を保障している」という仮説(「バランス仮説」)が成り立つ(下図)。

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ゲノムの完全性を維持するために染色体複製や染色体分配時には様々なチェックポイント機構があることが知られている。これは、「ミスを起こさない」ためのメカニズムだと言える。一方、ここで提案する量的均衡遺伝子によるゲノム完全性の維持機構は、「ミスを犯した細胞を残さない」メカニズムである*8

 

以上のように、量的均衡遺伝子に関する知識は、遺伝子コピー数の変化によって生じる病気の原因遺伝子の解明やその発症メカニズムの解明、さらにゲノムの進化や完全性の維持機構を考える上で非常に重要な役割を果たすと考えられる。

 

おまけ:酵母のシステマティックな過剰発現実験がもたらした大きな混乱

出芽酵母ではゲノム上のすべての遺伝子をそれぞれ過剰発現させる実験が既に行なわれている*9。これは、それぞれの遺伝子を強力なプロモーターの制御下において「過剰に」発現させ、細胞増殖に対する影響を調べた研究である。

遺伝子を過剰に発現させた場合に、細胞増殖を阻害させるもっとも一般的な原因として、上述の遺伝子量的不均衡が考えられる。上述のように遺伝子不均衡の大多数は、複合体内での化学量不均衡に起因すると考えられることから、過剰発現で増殖を阻害する遺伝子は、複合体の成分であることが期待された。

ところが、驚いたことにこれらの増殖を阻害する遺伝子には、複合体の構成成分の遺伝子が濃縮されていなかった。このことから、量的不均衡が遺伝子の過剰発現による増殖阻害の一般的原理ではないとする論文も発表され、大きな混乱を招いた*10

しかし、これは「プロモーター置換」という、量論的ではない過剰発現実験によるデータを、あやまって量的均衡の議論に用いてしまったために起こったことである。

プロモーター置換による遺伝子の「過剰」発現は、それぞれの遺伝子のもともとの(ネイティブな)発現量を無視して行われる。もともとの発現量が低い遺伝子では、プロモーター置換によって数百倍の過剰発現になる事もあるだろうし、もともと発現量が高い遺伝子では、プロモーター置換でも過剰発現にならない場合もあり得る。したがって、そもそもプロモーター置換による過剰発現の結果をもとに、遺伝子量均衡を議論してはならないのである。現在までに、「全ゲノム遺伝子の過剰発現」を行ったのは上記の研究しかなく、この研究は遺伝子量不均衡の議論をミスリードし続けている*11

遺伝子量不均衡を正確に調べるためには、量論的な過剰発現、すなわち「元のレベルから何倍」という過剰発現実験を行わなければならない。上述のように、このもっとも良い方法は、(ネイティブな発現量の)遺伝子コピー数そのものを変動させた時に、細胞増殖にどのような影響を与えるかを調べることである。

 

*1 遺伝子重複による進化の可能性を始めて提唱された、故大野乾(おおのすすむ)氏にちなんでいる。日本人としては「オーノログ」と発音すべきだと思うが、欧米では「オノログ」と呼ばれているそうである。
*2 Makino T, McLysaght A., Ohnologs in the human genome are dosage balanced and frequently associated with disease., Proc Natl Acad Sci U S A. 2010 May 18;107(20):9270-4.
*3 Moriya H, Shimizu-Yoshida Y, Kitano H., In vivo robustness analysis of cell division cycle genes in Saccharomyces cerevisiae., PLoS Genet. 2006 Jul;2(7):e111.
*4 Kaizu K, Moriya H, Kitano H., Fragilities caused by dosage imbalance in regulation of the budding yeast cell cycle., PLoS Genet. 2010;6(4):e1000919.
*5 たとえば、Saccharomyces Genome Databaseなど
*6 Makino T, McLysaght A., Ohnologs in the human genome are dosage balanced and frequently associated with disease., Proc Natl Acad Sci U S A. 2010 May 18;107(20):9270-4.
*7 Makino T, McLysaght A., Ohnologs in the human genome are dosage balanced and frequently associated with disease., Proc Natl Acad Sci U S A. 2010 May 18;107(20):9270-4.
*8 ただし、染色体の異常が大規模であれば、生殖時に相同染色体の対合が起きず、生殖細胞が正常に形成されない。これも「ミスを犯した子孫を残さない」というメカニズムとして働く事になるだろう
*9 Sopko R, Huang D, Preston N, Chua G, Papp B, Kafadar K, Snyder M, Oliver SG, Cyert M, Hughes TR, Boone C, Andrews B., Mapping pathways and phenotypes by systematic gene overexpression., Mol Cell. 2006 Feb 3;21(3):319-30.
*10 Veitia RA., On gene dosage balance in protein complexes: a comment on Semple JI, Vavouri T, Lehner B. A simple principle concerning the robustness of protein complex activity to changes in gene expression., BMC Syst Biol. 2009;3:16.~Semple JI, Vavouri T, Lehner B., A simple principle concerning the robustness of protein complex activity to changes in gene expression., BMC Syst Biol. 2008;2:1.
*11 例えば、Vavouri T, Semple JI, Garcia-Verdugo R, Lehner B., Intrinsic protein disorder and interaction promiscuity are widely associated with dosage sensitivity., Cell. 2009 Jul 10;138(1):198-208.
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Last-modified: 2012-10-12 (金) 00:00:00