第3部:gTOW6000プロジェクトー量感受性遺伝子の体系的解析

gTOW6000プロジェクト

ロバストネス解析としてのgTOWの裏で(?)動いていたのが、gTOW6000プロジェクトである。北野プロジェクトの肝いりとしてはじまり、岡大で守屋が決着させた。これは、出芽酵母gTOWの総まとめとも言え、2013年にGenome Reserachに発表した(Makanae Genome Res. 2013)。相当しんどかったけど面白かったプロジェクトで、論文としての発表に至るまでを守屋のHPに長々と書いているのでここでは割愛する。

守屋のプレゼンでよく使うgTOW6000プロジェクトの概略図は、もともと蒔苗氏が作成したものだった。ただ論文発表の時にレビューアに分かりにくいと言われ、論文の中では違う図になっている。論文を発表しようとするとこういうことがよくある。「こっちは気に入ってやってんだよ、余計なこと言うな!」、とは思うのだが、渋々受け入れる。だが、プレゼンでは諦めずに使い続ける。

gTOW6000プロジェクトの概略図。オリジナルは蒔苗氏作
論文用につくりかえた概略図。Makanae 2013より

量感受性遺伝子を取得する手法としてのgTOW

gTOW6000論文は、いうまでもなく守屋研にとっての金字塔である。”genetic tug-of-war “が、初めてタイトルに登場した論文でもある。一方、これはgTOWの方向の大きな転換点でもある。なぜなら、この研究は、ロバストネス解析の文脈で語られていないからである。このプロジェクトの当初の目的は、「出芽酵母のすべての遺伝子について限界発現量データを取得すること」、それにより今後のロバストネス解析に寄与することだった。しかし、これは2つの点から難しかった。1つ目は、ここまで大規模な解析で定量データを正確に得ることが難しいと分かったこと、2つ目はデータが得られたとしてもそれを使いこなせる数理モデルがないことだった。

そして、「より広い生物学文脈で考えて、この研究の面白さは何か?」、と考えたとき、それは量感受性遺伝子の取得とその原因の解明だということに着地したのだ。研究を計画し実行したとき、当初の目的通り進まないことはよくある。その時に、その中からなんとかして成果を得ようとする努力をする、これは研究者にとってとても重要な能力だと思う。

この仕事で、出芽酵母の量感受性遺伝子(DSG)のリストが完成した。それらの脆弱性を生むメカニズムとして、化学量不均衡を組織的に調査したし、タンパク質負荷の存在を示すこともできた。この時に初めて緑色蛍光タンパク質(GFP)を「モデルタンパク質」として使った。「これらの遺伝子がどんなメカニズムで量感受性となるのか?」、それが守屋研の主要な研究テーマとなっていく。

出芽酵母のDSG。Makanae 2013より
GFPを使ってタンパク質負荷の存在を示した。Makanae 2013より

gTOW6000プロジェクトには複数の人が関わったが、最も重要な人物は蒔苗浩司氏で、癌研から岡山大学までこのプロジェクトで中心的役割を果たした。gTOW6000プロジェクトの紹介のスライドで、「分注ロボットのBUNTA、分注ロボットのBUNJI、そしてそれを操作するのがKOJIです。」というギャグスライドは鉄板だった。

gTOW6000の鉄板スライド

gTOW6000コレクションは塩漬けに

gTOW6000プロジェクトで作った酵母株のコレクション(gTOW6000コレクション)は、NBRP-yeastという国のプロジェクトに寄託して誰でも使えるようにした。情報を整えたウェブページ(gTOW6000 project)も作った。一方、守屋研ではこのコレクションはそれからしばらく塩漬け(−80℃で眠ること)となる。

この大きなコレクションを使ったさらなる仕事を展開する予算がなかったこともあるが、それよりも「ちょっと疲れてしまった」、というのが大きい。ゲノムワイドコレクションを作り、定量データを得るというのは、ものすごくストレスのかかる仕事だった。当初予想していたほどクリーンなものではなく、泥臭く、データを見てゾッとするようなことも多かった(そのあたりはこちらで)。コレクションの完成度にも自信がなかった。正直、これ以上触りたくなかったのだ。結局、再びこのコレクションに触る勇気を出すには2018年まで待つ必要があった。結果として、gTOW6000コレクションは世界に誇れるものだった。

gTOW6000後の行き詰まり

gTOW6000という大きなプロジェクトを終えて、gTOWと守屋研は一端行き詰まる。それは主に目標を見失った事による。gTOWでやれることはやった。次に何をするのか? そもそもgTOWをこのまま続けるのか? 当時守屋は、「自分が作った方法にずっとしがみついているのは、研究者としてカッコ良くない。どんどん新しいことをやるべき」と思っていた。けれどある時、谷内江望氏(現ブリティッシュコロンビア大学)に、「むしろ自分が新しい実験法を開発したのだったら、それを発展させる責任がある」と言われた。「Charlie Booneを見てみろ」、と。結局のところ、自分が得意なことをベースにしないと研究費は取れない。トリッキーな新機軸を打ち出しても研究費はとれない。研究者は(あるいは全ての創造的な職業人は、もっと言うと人間は)、自分が生み出したものが自分の未来を決めるのだ。

テニュアトラックプログラムが終わりながら異分野コアに残り続けていて、守屋研の未来が見えないことも影響した。テニュアトラックは、なんだかんだ言って研究費のブーストだった。そのブーストがなくなって、いよいよなんとかして自立しなければならなくなった。新たな大きな研究費を得る、永続的なポジションを得る、学生の入るラボにする、これらが守屋の目標となった。当時の守屋は、さきがけのアドバイザーでもあった近藤滋氏の研究室でセミナーをさせてもらい愚痴をこぼしたが、「1度何かを達成したんだから、次もできるよ」と励ましてもらった。

そんなわけでgTOW6000後に一端行き詰まり迷走するのだが、その後そこからgTOWを使った概念実証の研究をすこしずつ積み上げていくことになる。

第4部:いろいろなgTOWに続く。