2012-11-08 遺伝子型から表現型を予測する全細胞レベルのコンピュータモデル A whole-cell computational model predicts phenotype from genotype. Karr JR, Sanghvi JC, Macklin DN, Gutschow MV, Jacobs JM, Bolival B Jr, Assad-Garcia N, Glass JI, Covert MW. Cell. 2012 Jul 20;150(2):389-401. doi: 10.1016/j.cell.2012.05.044. PMID:22817898 独立栄養で育つ細菌としては、ゲノムサイズが最小(500遺伝子)のマイコプラズマ(Mycoplasma genitalium)の「全細胞レベルのコンピュータモデル」を完成させたという報告です。 まずは、このようなモデルがついに作られたことに純粋に感慨をおぼえます。かつて日本でこのようなことに挑戦していたチームがありました。その目的で研究所もできました、が、残念ながらこのゴールにはたどり着けませんでした。 今回論文を読んでみると、ゴールへの道のりは生半可ではなかったことが分かります。私はこのようなモデルを作れるに至った舞台裏がしりたくなりました。 話を論文の内容にもどしましょう。 これまでに、細胞内でおきているイベントをさまざまな方法論で数理モデル化し、シミュレーションしようと言う努力はおこなわれてきました。生命科学における「数理モデリング」には、私は2つの方向性があると思っています。1つは、対象の本質をとらえるためになるべくシンプルなモデルを作る方向、もう1つは生物のもつ性質をできるだけ全部再現しようとするモデルです。 後者は、「シミュレーター」といってもいいかもしれません。細胞の生命機能は遺伝子とそれが作るタンパク質の活動によって生み出されているのだから、それを全部数学的に記述するというアプローチ。遺伝子を操作したときの細胞の挙動や、薬をかけたときの細胞の挙動を再現するためには、このような数理モデルでなければなりません。 けれど、分かっていないことが多すぎて、このようなモデルを作ることはこれまで非常に難しかったことから、「そんなモデルは作れるのか?」、「そもそも作ろうとする努力に意味があるのか?」という批判もありました。 そんな批判など気にせず、とりあえず作ってみようよという心意気でできたのでしょうか。そういうのがブレークスルーを生むのかもしれません。 もちろんそれを可能にしたのは、「分かっていないこと」を極力減らそうとしたこれまでの努力です。マイコプラズマでは、世界的なコンソーシアムにより代謝産物や遺伝子の発現などさまざまな細胞内パラメータを網羅的に取得しようという活動が行われてきたようです。 さて、この論文では、これまでにバラバラに作られてきた細胞内の個別のイベント、例えば転写、翻訳、DNA複製、代謝、細胞の成長、DNAとタンパク質の結合、などなどを「統合した」ところにそのすごさがあります。細胞内のイベントを28のモジュールにわけ、それを同じ数学的方法で記述するのではなく、最もふさわしい方法により計算した結果を、一秒毎にお互いに交換する。 計算の中には確率的なものもふくまれているのでおのおのの細胞の増殖速度は全く同じではありません。RNAの存在量は確率的に変化するという最近の知見とも一致するようにできています。 これまで実験では見えたことのない、染色体DNAとタンパク質の結合やDNA結合タンパク質どうしの「衝突」をとらえることもできています。 DNA複製の開始にかかる時間が細胞ごとに大きく違うのは、代謝により供給されるdNTPの蓄積速度の差によることも見いだしています。また、細胞内でATPやGTPなどのエネルギーがどのプロセスによって使われているのかの内訳も予測できる。その結果、「40%のATP/GTPは何に使われているか分からない」という発見もありました。これは、「統合モデル」だからこそできた発見と言えます(実際に細胞でおきているかどうかは別として)。 遺伝子破壊株の表現型をどれくらい再現できるかのテストでは、まだ21%に矛盾が見つかっており、これからこれらを修正していく必要があるでしょう。この論文では、この矛盾を修正する努力から、2つの酵素の活性についての予測と、1つの新しい酵素の発見がおこなわれたことが述べられています。 これは全細胞モデルの「たたき台」であり、これからこのモデルをベースとして改良がなされていき、最終的にはすべての細胞の挙動を再現するモデルを完成させることを目指していくことになります。 そんなモデルができたら何がすごいのでしょうか?私はこういう方法でコンピュータ細胞ができた時、「私たちが細胞をすべて理解した」と思ってもいいのではないかと考えています。 もちろんこれは500の遺伝子しかもたない細菌での話です。私たちが調べている酵母は6000の遺伝子をもち、もっと複雑な細胞内構造をしています。コンピュータ酵母ができるのはいつなのでしょうか。 ちなみに、この論文には、120ページにわたる追加資料が添付されています。そこには、ここで数理モデル化されている細胞内プロセスのそれぞれについて、生物学的な説明、それに基づいてどのように数理モデル化したのか、が1つ1つ述べられています。これを読むだけでも細胞を俯瞰的にとらえるために膨大な知識が必要だということがよくわかります。逆に言うと、それだけの努力をはらった上でこのモデルが完成したのだといえます。だからやっぱりこれはすごい仕事だと私は思う訳です。 (Visited 679 times, 3 visits this week) システムバイオロジー テクノロジー モデリング 論文